11月6日(月)時には落ち込むこともある。うぇーい、うぇ〜い。

 今日も白っぽい快晴。8℃〜20℃、45%。ノルディック・ウォーキングだん。桜の紅葉と落ち葉がとても綺麗です。桜は2度楽しめると♪




 孤独とは:

 独りぼっちのことです。孤独だとしみたくなっるってのはホントだと個人的な経験事実ではそー確信します。なぜだか分かんないけど、心がそっちのほうに傾いて行くんです。いわゆる一つの世界が灰色になるというか、つまらないというか、面白くないと言うか、生きてるだけで徒労感が湧いてくるんです。不思議だけど人の為に何かやって、その人にほんの少しでも喜んでもらえれば、それだけで幾分かしやわせな気持ちになれます。何故なんだっ?

 もともと大脳は人とコミュニケーションをとるためにデッカクなったつう説もあるくらいですからね。所謂一つのダンバー数(150)です。交流できる群れの規模と類人猿の脳の大きさは比例するとか。ヒトのばやいは100人から230人が限度なんですと。その中でも親密交流でけるんが20人以下であると。だからスポーツの競技人数はこれ以上大きくなれないんですぅ。(現に、ネット上の政治論争では罵り合いになるのに、麻雀やりながらの政治談笑だと和気あいあいに進みます。)脳は人と連結する為に進化したと。その連結が途切れると、生きてる意味も見失われるんだっ!という説は、少しは説得力ありますかね?(即ち、肉体から切り離された心が孤独にのたうつと。肉体はいつでも何処でもしみたがりまへん!)

 でも時に人間は孤独に耐えて、偉大な業績(宗教、科学、藝術、社会変革などなど)を上げることもある。つうことから考えるに、孤独とは単に物理的な状況ではなくして、心理的な状況なのではないかと思いまふ。心の中に人間や社会に対する激烈な想いがあれば、それはもう孤独ではないんですねィ。だって自分では人や社会と繋がっている心算なんですから。

 物理的にも心理的にも社会から切り離されてる人には救いはないのか?・・・これはもう人それぞれと考えるしかないです。ボランティアな人は、優しくしたり、声掛けしたり、喧嘩してでも、わずかなカンダタの糸を繋ごうとするでしょう。それはそれで好ましいとわたしは考えます。でも、ほんとに人それぞれですからねぇ。・・・散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛禅師)
 生きてる内に楽しみましょう♪生きてるだけで丸儲け♪




 ジャーナリズムとは:

 「広報と報道の違いについて、「広報」は報じたいことを報じること、「報道」は誰かが報じられたくない事を報じることだ。」と言った人が居る。すかすこれでは少し不十分だ。「誰かが」とは一般を指すのではない。権力を持っている者、強い者が報じられたくないものを報じるのが真のジャーナリストであり、弱い者、弱みを握られた弱い者を報道するのはブラックという形容が付かなくてはならない。昨今の報道は、「真の」から「ブラック」という方向へシフトしているような希ガスる。

 また、昨今の記者クラブは仲良しクラブになってしもて、既に「広報」と言ってもいいでしょう。官邸や官庁からの垂れ流し情報を受け止める受け皿ですぅ。すかす仮に記者クラブなかりせば、参詣とかの御用新聞ばっかし有利になってしまう!という議論がありますが、こりは垂れ流し情報を前提とした乞食根性です。現に日本の真似して記者クラブがあった韓国でさえその解体が進み、世界中の殆どの国には、このような排他的な記者クラブなんて制度はあーりませんどすぅ。ドヤドヤ?