9月2日(土)禾乃登(穀物が実る頃)、お笑いと抽象とは。

 朝のうち雨残るも、昼から晴れ。17℃〜24℃、69%。涼しくて過ごしやすい♪





 本郷方面に進出す:

 落語と数学の競演つうのをやってたんす。新作落語の立川吉笑さんと数学の伝道師@森田真生さん。それなりにおもすろかっただすぅ。吉祥さんの落語は哲学的で常識破り、森田さんは数の謎についての身体性からの解きほぐしでした。

 森田はフレ―ゲやウィトゲンシュタインチューリングの業績を現代数学の見地から、分かり易く説明した。分かると操るを分離したのが現代数学で、前者は意味論、後者は構文論となる。いわゆるセマンティクスとシンタックスですね。そしてシンタックスのみで数学を位置付けようとしたのがフレ―ゲで、これはアルゴリズム論になった。コンピュータは数の意味が全く分からなくても計算はでけまふ。しかし「1」を意味では無く、操作のみで定義しようとしたフレ―ゲの試みは失敗しました。この辺を引き継いだのがラッセルとウィトゲンシュタインだったのですぅ。それからネット(網)からツリー(樹)への変換と合理(ratio)との関係や、全体と局所との関わりなど数論の基礎の説明があり、頭ではなくかだらで分かる古武術まで話は広がりました。この辺はBeingとKnowingとの違いになります。日本の「道」はみな知識ではなく型から入ります。まずかだらで覚えよと。この辺は甲野善紀から荒川修作までの話し。そして外から見たAIと内で感じるAIの違いにまで話は飛ぶ。

 それを最後は、吉笑さんが新作落語にまとめるという趣向でしたあああ!ま、なにはともあれ固定されるのは死ですから、どんな組織にも属さず永遠の心の旅を続けるんですと。嗚呼!