11月17日(金) 金盞香( きんせんこうばし)、水仙の花が香るころ。

 晴れ。6℃〜13℃、47%。風さぶし。風邪ピークなり。もう少しで抜けそう。会合をキャンセルし終日逼塞せり。でも夜、野暮用。

 そー言えば、一休禅師の漢詩には「森女の秘所は水仙の香りがする」なんてのがあったような希ガスる。ども。






 絶対とは:目指してもエエけど、徒労だぞっと。

 絶対とは、例外が無いことであーる。即ち完璧つうことだすぅ。でも絶対が達成されちまったら、そもそも世界に意味が無くなるんですぅ。なぜなら、(そうでないかも知れない)ものが無いと、そうであるものを切り出せないからですぅ。伸べたんの世界では認識が成り立ちません。真はそれだけでは成り立ちません。偽が無いと、その反立としての真は意味が無いと。「分かる」とは「分ける」ことですから、対立物がないと、概念や言語そのものが成り立たなくなるんだすぅ。・・・ですから、普段から分かり切っていること、例えば「1」とは何か?を論理的に定義することが極めて難しいんですぅ。でも、直観に頼らないで、全てを論理的に定義づけできなければ、数学から直観を排除することはできません。なにしろ、自然数の「1」は数学の大本ですからねぇ。「1は1なんだい!誰が何と言おうと1は絶対に1だぞっ!」と叫んでも、論理的な定義にはなりません。こりには、現代論理学の祖@フレ―ゲもお手上げでした。カナ?カナ?


 玉虫は熱に魘(うな)されると、無意味な考えで堂々巡りをする癖がある。ども。