10月2日(火)自己言及ってのは、合わせ鏡のように無限ループを醸し出す。

 晴れ!18℃〜27℃、35%。うろこ雲の高い秋晴れ。晴れた日は永遠が見える。

 高空をジェット機が旋回しながら西を目指す。次から次から。秋桜採りに葛西臨海公園にゆってみようかな♪






 否定的自己言及とは:カメムシカメムシの臭いで自分もしむんだよ!


 集合論にて数学を基礎づけようとしたフレ―ゲは、ラッセルの逆理によりその足元を揺るがされたのでした。いわく「自分自身を要素として含まない全ての集合は、それ自身を要素として含むや否や!」つう命題は真とも偽とも言えなくなりました。含むとしても、含まないとしても矛盾が生じてしまうからです。

 もっと古くからゆわれていたのが「全てのクレタ人は嘘つきである、とクレタ人が言った」つう命題は真か偽か。こりもクレタ人が嘘つきだとしても、嘘つきでないとしても、堂々巡りしますね。こーゆーのが自己言及的論理に内在する構造的な矛盾だすぅ。

 こういうのはネット詭弁にもたくさんあってですねぇ、例えばヘイトスピーチをする者をヘイトするのは止めろ!とか、言論の自由を弾圧する言論を弾圧するのは言論の弾圧であーる!とか、枚挙にいとまがあーりまへん。先日来の新潮45騒動にしても、「LGBTを差別する言論を圧殺するのは、まさにはっきりと申し上げて言論の弾圧であーる!」つう声がネトウヨサイドからうようよと湧き上がって来ましたヨット。まさに「自由を弾圧する自由を弾圧するのかっ!」ちゅうイタチゴッコに持ち込もうとする意図は見え見え。

 すかす、こりは新潮社が慎重さを欠いたために起きた騒動であるともいえます。言論機関がただちにその言論を閉じるほどの事態でもないのに、2年間放置していた編集人を、世間の動向を配慮して、言い訳の機会を与えずに、切ったと言えるでしょう。こりは言論機関としては致命的だと思います。この世界に絶対的に正しいことも、絶対的に間違っていることもナインですから、うだうだと議論するしかねーんですぅ。思い込みにせよ、偏った考え方によるにせよ、それはその人の考えです。主張も自由、反対も自由ってのが、この現実的な世界においての唯一の道なんじゃねーのかなぁ?・・・と、あくまでも相対的な玉虫色は考えるでげすよ。議論は弁証法の大本かつ哲学の本旨なんだすぅ。そしてどんな議論にも、スッキリとした解決法はなしと。哲学者を見て見れ!いっつも議論してるが、己の見解を変えるこたー殆どねえでがんす。これが個性で、哲学者が百人いれば百の哲学がある所以です。ジャンジャン