5月25日(木)分業とは、論理とは

 概ね曇り、時折りぱらぱら。20℃〜23℃、75%。今日も、春雨じゃ、濡れていこう♪大分蒸してきました。





 籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、そのまた稲を植える人:

 人間社会ってのは、複雑な分業で繋がっているんですねぇ。7ちゃんでやってる日本が大好きな外人を招待する番組で「浮世絵好きなフランス人」を招待してました。版の彫師や刷師はそれぞれ伝統の技ですが、刷師が使うバレンを作る職人さんの技は凄いものでした。材料の竹を厳選し、竹の皮を厳選し、繊維にしたのを厳選し、それを編み込んでバレンの中身を作るんですが、版の細かさに合わせて5種類もあるんだって。表面の皮は古い和紙を何重にも重ね合わせて最後は竹の皮で包んで完成します。全行程6カ月から8カ月、こういう職人技に支えられて1枚の浮世絵が刷り上がるんですぅ♪浮世絵大好きフランス人も感動して泣いてましたねぇ。伝統工芸の奥は深いですぅ。でも、後継者は少ないんじゃナインかな?ザンネン





 分かるとは、どーゆーことか?

 フレ―ゲの業績を追った森田真生氏の「数がつくった言語」(新潮)を立ち読み。作図など具体的なイメージから出発した論証(ユークリッドの原論)は、デカルトによって数式に置き換えられた。式の変形、計算が推論と等価になった。その後カントのコペルニクス的転換により認識の構図が反転し、対象が認識に従うとした。即ち外界の事物は人間が感性で取り込んで作ったものであると。しかしそれは時空と言う形式に従い、知性のカテゴリーによって統合されるものだとした。だから本当の外界(物自体)は認識不可能なんですぅ。それでも先験的な総合判断は可能であると、5+7=12と言う例で説明している。

 その後、現代数学の発展で数学の対象は数から無限や特殊な空間など「直観」では理解できない対象が作り出された。そのとき分析哲学の祖フレ―ゲは、日常言語から離れた純粋論理言語を作ろうと試みた。日常言語の曖昧性を排して、概念や推論手順をきっちりと定めたもので当初は誰も分からなかったと。しかし、ラッセルによる矛盾の指摘を乗り越えて、コンピュータ言語の元になる発展を遂げたんであーる!今では1と0というディジットがあらゆる物質を制御してるんですぅ。そうAIの世界ですね。心や意識と言う内部に閉じたものから、言語という外に向かう媒体を純粋に論理で突き詰めた功績は、多少の瑕疵があったとはいえ偉大なものと言えましょう!かな?

 でもディジットが何でもできるのかっつうと、それはコード/デコード体系、写像でもいいか、森羅万象をディジットの組と結び付けた操作が重要ではなかろうか?とぼくはかように思いました。即ち、結び付けれれば分かったということだすぅ。ジャン