8月20日(日)チュランスレーションとは。

 概ね曇り。23℃〜29℃、67%。も、もっと陽ざしを!プールだん。






 翻訳とは:自由である。

 ある言語体系(方言を含む)を他の言語体系に移し変えることであーる。単に外国語を自国語に変換するだけではなく、津軽弁を薩摩弁に置き換えることも含むし、古文を現代文に変換することも含む。ウォルター・ベンヤミンによれば、言語、時代、文化、環境、国などのあらゆる違いを乗り越える「正しい」翻訳はあり得ないと言う。翻訳を原文から他の言語に単に置き換えるコピーだと思えば、そこにはノイズによる劣化しかありえない。しかし、ベンヤミンは大きな皿の割れた断片の一つ一つが、原文であり翻訳であるから、そこには優劣は無い。原文よりも優れた翻訳もあれば、劣化した翻訳もあると。

 翻訳は原文を素材とした一つの創作である。これは小説を書くと言う行為が、現実をベースにして、創造力を駆使して言語表現に飛躍させる行為とおんなじなんであーる。それ故、翻訳は本来自由なんであーる(正解がないつう意味において)。あるいは、原文が時空を超えて、別の時、別の場所に生まれ変わることと言ってもエエのかも知れんですぅ♪特に「詩」などは音韻やリズム、押韻など言語、文化が違えば全く別のものになってしまいまふぅ(ランボー小林秀雄による翻訳など)。

 小説は孤独な作業ですが、翻訳は時に原文に戻って相談できるので、対話的な創作と言えるでしょう。小説に疲れたら翻訳、翻訳に疲れたら小説というリズムは森鴎外にもあります。(by高橋の源ちゃん)


 つうことで、教育勅語(約100年前)、方丈記(約900年前)、論語(約2500年前)を現代文に翻訳した、源ちゃんの解説でしたぁ。興味のある向きは、探し出して読んで見るよろし。きっとおつむがコテンコテンになって、新しい古典観が芽生えるであろうよ。何しろ「方丈記」などは「モバイルハウス・ダイアリー」なんすからね。当時も1坪住宅@方丈は牛車で運んだんですぅ。それに当時のインテリは漢文を能くしたので、現代でそりは英語に当たるんだろう♪つうことで漢語が全て英語にトランスレーションされてます。そして論語は、政治塾の住み込み弟子たちに師匠が延々と文句をブー垂れている構図。教育勅語天皇藩閥に押し付けられて、イヤイヤ講釈を垂れてるって構図なんですぅ。本屋か図書館に置いてあったら、少し覗いて見るよろし。古典がぐっと身近になるでせう!ども。




 追記:「教育勅語」の源ちゃんによる現代語翻訳がネットにあったから貼っておきます。https://dot.asahi.com/wa/2017041800076.html?page=1