今日も猛暑っしょ、晴れときどき曇り。27℃~35℃、61%。とても蒸し暑いふいんき(なぜか変換できない?)。プールだん。
言語はルールではない:単なる使用上の習慣なんだす。でも、統一には有効。
言語ってのは積み上げ形式で構成されて行くけど、言語の意味は使われなければ胡散霧消ってな二面性があるんだす。ヴァス イスト ダス?こりは一体何じゃらほい?つまり意味が先ってこたー全くナインすよ。使われて行く中において、意味っつうのはどんどん変化していく生き物なんすね、言語っつうのは。まさにはっきりと申し上げて、いわば言語は固定して考えてはその本意に悖るつうことなんですぅ。いわば、すべての言語批判者は、アフォっつうことですか?そーなんです、あれはいかんこりはいかんつう固定主義には適さないイシューなんすよ。そもそも、間違った使い方なんつーのが、とてもはんずるかすい言動なんすねぇ。どもども。
そもそも国民国家形成の過程で、言語統一の運動が世界的に起こって、各地のローカル言語を人為的、意図的、意志的に統一して現在各国の国語ができました。ですから国民国家とは国語であると言っても過言ではありますまい。日本でも明治期に国民国家を形成するにあたって尋常小学校にて「さいたさいたさくらがさいた」などとおせーたのが肝だったんす。つうこたー、国語を毀せば国民国家も壊れるんかな?国語の乱れを嘆く保守層のじいさんの言動も少しは理由があったんだすぅ。ども。
(cf.古代ギリシャでも、ギリシャ人の範囲はギリシャ語を話す者だったですよ。バルバロと変な言葉を話す者たちはバルバロイ(野蛮人)と呼称され、ヘレネス(ギリシャ人)とは明確に区別されました。これは生まれつき(これがそもそも怪しいですが)によらず、言語習得さえすればギリシャ人になれるんだから、現代日本よりか余程柔軟な民族観でありますまいか?)