8月2日(水)大雨時行(夕立が時々降るころ)。真とは理想の状態である。でもそれに漸近しないと。

 概ね曇り、ときどき細雨。22℃〜25℃、73%。湿度は高いが、かなり涼しい。なんか梅雨が明けてからの方が梅雨らしい?ウォーキングだん。久しぶりに銭湯。





 フェイク・ニュース(FN)とは:

 折角だから、ちとフェイクニュースについてまとめておこうと思います。

・まず共通認識として、FNはネットに適応的だから流行ったです。FNをイチから造るのはかなーり労力を要するが、ネット上に氾濫するオルタナティブ・ファクツの中から、少しの真実と大部分のデマをハイブリッドすれば、誰でも簡単に作れちゃうんですぅ。トゥルーフェイクよりハーフフェイクのほうが強力!
・しかも、一端できてしもたFNを、事実をもって反論するには、膨大な労力を要します。すなわち言ったもん勝ちの構図ですね。
・非対称性の罠:人間はフェイクであれデマであれ、強く断言するほうを信じてしまう性質があります。誠実にあれこれ疑って、「そうかも知れないしそうではないかも知れない。もう少し調べてみよう。」つうような言説は誰も信じません。デマは3秒で広がり、これを潰すのは1カ月掛かると。
陰謀論を信じている者は狂信者が多い。事実を提示しても、3割の者は更にその陰謀論を強固に信じると言う論文あり。
・20世紀末のハルマゲドン信者のように、いくら科学的に正論を提示しても、信じるものは変えられない。カルトを脱会させるには逆洗脳しかないのか?トホホ
・事実による根気強い説得は無意味かと言うとそーではない。たとえ相手は変わらないとしても、ネットでその説得を見ている大多数の態度を変えることができる。
・息をするようにデマをこく、マルチスタンダードな国士の講演を中止させるのは言論妨害なのか?→実際は「憎悪」と「差別」の構造は大きく異なるので、「どっちもどっち」に持ち込まれるのは得策ではない。
・差別的言論と、単にあいつは嫌いだという感情論は全く違う。差別構造自体を是認するのは、社会的影響度が大きい。
・ネット上の差別言論を法で規制する国もあるが、運用の線引きが難しい。リツイートやシェアをどこまで含めるか?
・プラットホーム業者への規制はある程度やむを得ない(削除指示に従わない場合など)。しかし政治的には諸刃の剣。
・人間は常に変化する者だから、あまりダブスタを指摘し過ぎると教条的になってしまう。
・沖縄の土人発言などを、トップが許容すると社会に差別容認が拡散してしまう。→障害者、や老人など弱者虐待が始まる。
・差別問題には一抹の面倒くささが付きまとう。人間性の根深いところに根差しているからだ。でも本音を裸にしたら人間社会は成り立たない。だが、ネットは身体性を伴わないテキストだけだから、本音の一番悪い部分がネットで繋がってしもうた。
・大阪の首都に対する反骨が、どこかで屈折してしまい、アンチ東京がヘイト番組に変質した。

 では、フェイクニュースにどう対応できるのか?

アメリカや欧州では、ネットやメディアのフェイクニュースをチェックするファクトチェックの機構がいち早く設立されたが、日本では大手メディアの出足がのろい。スマートニュースを中心とするFIJ(ファクトチェック・イニシアティブ・ジャパン)がようやく立ち上がったばかりである。大手メディアや公共機関がもっと本腰を入れるべきである。これはひいては大手メディアの信頼性と存続にも関わって来る。
・逆に、自民ネトサポなどネットを世論誘導に使っているところは多い。ヤフーのコメ欄投稿の複数アカ禁止で差別コメントが激減したことは、ネット工作員の実在を示した。
・またGoogleの検索アルゴリズム変更でSEO業者はパニックに陥った。今後とも、より恣意性の入りにくいアルゴリズム改良が望まれる。嘘やデマがネット検索に定着しない運用は必須。
・最後にジャーナリストに望まれるのは、ネットで検索して安易に記事を作るのではなく、手間と足で稼いだ調査報道の原点に帰ることです。誰もが発信者の時代に真のプロジャーナリストとは何か?単なる太鼓持ちの一群ではない筈だ。



 一部、理想主義的ではありますが、今後のネットとマスメディアの共存に際して大切なことを、思い出すままランダムに挙げてみますたあああ!ど、どもども。








 長岡の大花火大会:

 ビーテレの中継でも充分迫力がありました。それぞれのコンセプトや表現手段など39の演目にそって打ち上げられます。それぞれにスポンサーがついているので失敗は許されない緊張感!3尺玉の迫力や、全体構成の華やかさなど取り取りに見どころあり。小学生のグループが作った花火も見事に打ち上げられました。感動感動の波また波!・・・でも実際に現場で「ずっしーーーん!」と腹に響く爆発音や、川面の風、火薬のにほい、などを感じながら見ればどれほど楽しいだろうかっ!と想像しました。

・・・ちょと残念だったのは、作品はすごく綺麗で迫力があったのに、煙で半分くらい隠れたのがあったことだすぅ。ザンネン
でも、煙を含めて楽しむのがホントの花火好きなんだい!という意見もあるかもしんない。・・・いつの日か、天才的な花火師が煙の少ない花火を作ることを祈ってます。・・・できないこたーないと思いますが、発色とか輝度とかのイロエロとトレードオフがあろうかと思いますが。ども。