12月2日(金)橘始黄(柑橘類が黄色く色づくころ)、にパンを食べつつ論理を思ふ。

 白っぽい快晴。9℃〜15℃、52%。 世の喧騒に拘らず、陽は昇り、陽は沈み、空は青い♪


 「もっと ゆったりと 生きてもイイん ぢゃないか?」(みつを)あははは(うっそ)





 人はパンのみにて生きるにあらず:

 動物は毎日毎日、食べるためのみに生きていると思えます。鯉やカモメに餌を上げると、狂ったように集まってきます。野生でも、そのほとんどの時間は、食べ物を得るために使われております。生きる為に食べるのか、はたまた食べるために生きるのか?が分からなくなりますね?そして極たまに生殖の為に争うと。・・・人間も当然、こういうプロセスを経て進化してきたと思われます。が、農業、牧畜などで蓄えがでけると、他のものに目が向いてきましたのだ。

 絵画、音楽、などの芸術や人と競うスポーツなどが、名誉とも絡めて人生の意味を付与します。でも、他人に生き甲斐を求めない捻くれ者は、自己耽溺しオタクになりまふ。イロエロなアディクション嗜癖、依存症?)もその内の一つです。すなわち没頭できるものに依存して、氏すべき運命を紛らわすことでしょうか???ども。

 哲学を始めとする諸学問も、その内の一つではないのか?という悪魔の響きが脳内にこだまする今日この頃。人は余裕をかますほど、現実から遊離して、徒に思い悩むのです。美味しい獲物を追いかけたり、猛獣に追いかけられたり、はたまた心かきみだされる異性を得ようとするときには、今ここだけで懸命に生きているのにねぇ。(若者の消費離れつうニュースに接して、斯く思ふなり)






 論理には既に、矛盾が内在しているとは:

 これは「否定的な自己言及的矛盾」と申します。例えば、「全てのクレタ人は嘘つきである、とクレタ人が言った。」というようなものですね。もっと簡略化したものは、「この文は偽である」という文は真か偽か?つうようなもんでやんす。このようなもんが近頃、論理の世界ではなくして、現実に飛び交っているんすねィ。アハハ

 ・「言論の自由はまったく無駄なことである」と宣言する言論の自由とは?
 ・「差別的な発言をする人を詰(なじ)るのは、その人を差別することである!」とする主張とは?
 ・「ヘイトスピーチをヘイトするスピーチはヘイトスピーチではないのんか?」とするネトウヨとは?

 これらはすべて、反知性な人々が、論理に依拠する人々をやり込めるために、2ちゃんにて発明された、言論自体を無効化するブーメランなのでありますっ!どもども。



 どす〜ん:

 排他主義と博愛主義とでは、どちらが現実的でしょうかっ?・・・なんか負けそうな希ガスる今日この頃。宇宙人にでもすがりたいですぅ♪