5月27日(土)好きこそものの上手なれ♪(いや下手の横好きでも面白ければイイぢゃないか。)

 薄雲の多い晴れ♪18℃〜26℃、44%。緑の風が爽やかなれど、最近の飲み杉にて気分は良くない。

 ゴーヤーの苗を緑、白合わせて3本植えて大分育ってきたんですが、去年落ちた実から芽が二つ出てしまい全部で5本と言う過密状態!抜くのも可哀そうだから、自然淘汰に任せることにした。今年は実が少ないかも知れないな。






 教育とは:北風か太陽か?

 厳しく仕込むのは、ある局面ではとても大切だと思いますが、やる気を摘むようなことは逆効果だと思います。最近の風潮は、些細なミスを指摘して、生徒からやる気を詰んでしまう事例が多々見受けられます。国語(書き順など)や算数(演算の順序など)は言うに及ばず、先生が正しいと思うことが唯一の解だとする事例が多く見受けられます。

 茂木先生は以前このように指摘しました:「日本の英語教育自体が、伝える内容ではなく、細かいところに文句をつけてくる愚か者、みたいな存在。以前聞いた話。英語嫌いだった中学生の男の子が、ロックバンド好きになって、そのことをわーっとたくさん英語で書いたら、評点は0。文法ミスがあったからだって。精神の殺人事件だよね。」相変わらず言い方はきついですが、わたしは心から同感します。言葉なんてのは、まず伝えたいことがあって、それを伝えながらミスして覚えていくもの。あるいは、知りたいことがあって、全部は分からないながらも、聞いたり読んだりする内に覚えていくもの。それを文法ミスで0点にする人は教師の資格なーし!

 門前の小僧習わぬ経を読む!関心を持って、興味を持って、好奇心で、粘り強くそれに慣れ親しんで行くうちに、だんだん分かっていくものは、たくさんあります。哲学や数学だってそうかもしれません。一々揚げ足を取るような採点をしていたら、伸びる者を殺しているようなもんだすぅ。これぞの完全主義の弊害だすぅ。・・・昨日、ある場面で強く感じたこと。老師に「分からないのにヘラヘラしてるんじゃないっ!」と叱られた生徒が、あとで講師から「それでイイんだ。興味があって接していることが一番だよ。」と慰められて、涙を流してました。ぼくはこの講師について行こうと思いました。ども。