5月13日(土)自由と多様性が溢れたる仲間たち

 雨ときに強し。終日18℃前後と涼しい。92%。花粉少ない。

 



 駒場方面に進出す:個と全体

 ALife Lab. が主催するシンポジウム「Generative Ethics and Society:人工知能、人工生命の倫理とそれを取り巻く社会」つうのに行ってきた。池上高志教授が主催する研究会なんですぅ。「生成的倫理」とは何ぞや?それは与えられた規範ではなくして、自ずから生成される自律的な倫理なんですぅ♪

 では、「倫理」とは何ぞや?こりは一人の時は必要ない。集団で暮らすときに必要になる”気持ちがいいこと”なんですぅ。獣みちのように、踏みならされて自然にできてくるのが望ましいと。それは生きるために逃げる道か、食うために攻める道か?AIによって「所有」の概念を根本から変えて、シェアの道を歩むのが一つの方法。そして「多様性原理」が重要であろう!とのキーノートスピーチなり。「未来の文化は、人格の内においても外においても、異形のもの、非人間的なものを始め、あらゆる種類の多様性をより広範に受け入れるようになるだろう!(モリス・バーマン)」が示すように動物の倫理や機械の倫理にも目を配った深みと広がりを感じさせるものであった。

 インターネットの生命性研究で著名な岡瑞起さんの「生成原理」の例示と、三宅陽一郎さんのオタク的AI論はおもすろかったし為になった。一方、長谷川愛さんの「トロッコ問題」における倫理バイアスの話は、ハッと我を見つめる契機になります。即ち、普段は意識しないが各人には必ずバイアスがある。それを露わにして自覚させるツールは有効ではないのかと。あらゆる能力、あらゆる見識には必ずバイアスがあるという認識は絶対に必要で、しかもそれはどんな人にもあると。ふとバイアスルックというコテハンを思い出しました。

 その世界を内側から実感しつつ考察するというのも身体性があってエエですが、より大きなもの高い見地からメタに見なければ見えないものもある。何万年も後の生命は果たしてどんな進化を果たしているだろう?との見地も必要だろうと感じました。


 増々ルールがちがちの監視社会に進もうとしているように見える現代社会では、自律的に生成される倫理(誰もが気持ちよく暮らせる)が一つの鍵になるのではないか!と感じました。ども。



 ディープ・エコロジーとは:

 人間中心主義から、一瞬でも動物や機械からの目線になるのは、そもそもの倫理論(Ethecal Ethics?)の契機になるのではないかと、はっきり申し上げたい!(アベちゃん用法)




 そもそも論の試論:

 そもそも蜘蛛のように、孵化した途端にクモの子を散らすようにバラバラになって生涯孤独に暮らすような生物には、倫理なんてものは毛ほども必要なーし!群れで暮らすことを選んだコロニー型生物には、個と全体という課題が常に付き纏います。それでもアリやハチのような昆虫は、本能によってこの関係を強固に全体側に倒します。分業が天職として刷り込まれてるんすね。兵隊ハチはしむまで群れの為に働いて、最後は自らのかだらを敵の餌として捧げます。一方、個と全体が天性として与えられていないヒトなどは、この調整に苦労します。神がこの基準を与えるのか、お上が与えるのか、はたまた人々の合意で作るのか?ここに生成原理で獣道のように、自然に成立するのを待つという道筋が提案されたのでしたあああ!かな?