5月9日(火)塞翁が馬主義者には、プロセスしか無いんじゃあああ!ども。

 曇り。17℃〜22℃、61%。花粉少ない。プールだん。




 終わりよければ全て良しとは:

 「All's well that ends well.」というシェークスピアの戯曲のことでやんす。曲折を経て無事結婚できたことを王がこう言って締めたのですが、これは物語りでのことです。すかす、この文言が独り歩きして、物事はプロセスはどーあろうと、結果さえ良ければそれでイイのだあああ!つう、とても安易なことわざに化けてしまいました。この世界には終わりは無いのであって、この劇でも結婚は地獄の始まりかも知れんのですぅ。始まりが有り終わりがあるという直線思考な西欧では最後の審判で天国か地獄へ逝きますが、東洋では永遠に回る輪廻の思想がメジャーです。即ち終わりなどナインだすぅ。塞翁もゆっておりますが、禍は福を為し、また福は禍を成すと。余りにも思いがけず勝ち過ぎると、その油断から次には大敗が待っている。また大敗をした後には、高度成長と平和な日々が続きます。これは日露戦争から昭和までの歴史です。平和に飽きて、積極的に始動し始めると、トンデモナイ禍が待っていないとも限りません。短期的な成功や正解つうのは勿論ありますが、それらに捉われると飛んでもないことになりますよ〜!ゾワゾワ


 んじゃ、個人的な死とは、終わりぢゃねーのかよっと?・・・ふ〜む。物理主義的無神論者から見れば、その個人に取っては終わりに見えるかも知れない(単なる想像ですが)。でも、その個人の意識が宇宙に融合して一体化したと思えば、世界の終わりにはなりませんぞなもし。そしてしむまえ(終わりの時期と仮定して)が良いか悪いかに関係なく、みんな平等に無に帰するのですから、結果オーライは成り立ちません。散る桜 残る桜も 散る桜 。 ナムナム アーメン インシャラー