3月3日(金)ひな祭り、一応ひなあられは食べた。

 青い空白い雲の晴れ。午後から少し雲が出る。4℃〜15℃、50%。暖か、予報では花粉非常に多い。




 報道とは:考察1

 事実というものは、常に解釈され編集されて伝えられる。ということは仮に事実が一つだとしても、伝わり方は無数にあるということになる。確からしさというものは確かにあるが、絶対的な事実というものはありえない。ここに報道の良心が大切になるのでアール。事実Xにどれくらい漸近できるか、が勝負である。ある社は詳細に報じ、またある社はまるで無かったかのように無視する。そこには社のトップの意志が入り込む余地がある。一方、報道を受ける側は、出来るだけ多面的に色々な情報にアクセスしなければならない。ここで問題になるのは、報道各社の横並び姿勢であろう。金太郎飴のように、同じ話題を同じ切り口で編集するのは、このような見地から全く好ましくない。悪しきポピュリズムを助長するだけで、健全な民主主義にとって害悪しか齎さないであろうよ。ぷぷぷ  要するに産経新聞があって東京新聞があって、それぞれの見地から報道していいのであるが、視聴料を強制徴取しているNHKが「政府が右と言ったものを、左と言えない」のは大きな問題である。ましてや政権に影響がある重大問題をスルーするのは、本来の役割を全く忘れていると言っても過言ではない。さて、また視聴料を自己供託しようかな?ハレハレ







 表現とは:

 表現したいものをダイレクトにコントロールするよりも、むしろ通常では現れない想定外の振る舞いを、どれだけ無意識に惹起できるかに掛かっている。これは、表現したいもの自体に加えて、他でも在り得た、在り得る意味を重ねて、想定外の存在を継続して立ち上げ続けることなんであーる♪それは即ち、常に変容し続ける生命そのものなんですぅ。(by Pegio Gunji)