12月5日(土)市場原理、勝ち負け主義下のジャーナリズムとは

 今日も快晴なり。5℃〜16℃、46%。気温の日較差が極めて大きいので朝晩は注意のことよ。昨日の強風で、大量の落ち葉が降り敷きたり。






 ジャーナリズムとは:無恥を以って無知をさらけ出すものなり。

 報道の自由表現の自由を担保して、政権の行き過ぎをチェックするのがジャーナリズムだったと思うんです。それが今では政権の意向を忖度して、逆に庶民の声を抑え込む方向に動いています。極秘情報をギラギラした目でハントする狼から、与えられた餌でぬくぬくと安寧を求める記者クラブは、まさに座敷犬です。経済原理からして、どーしてもスポンサーの意向が入らざるを得ない民放に比べ、視聴料で成り立つNHKはもう少し自由なスタンスを持てると思うのですが、今では政権の広報部門と変わらぬスタンス(これは現会長が個人的に漏らしてたからねぇ)。政権の支持率や選挙の結果は、かなーりメディアに左右されますから、今や日本は表現の自由も選挙の公正も毀損されつつあると言へるのでせう。チェックの甘くなった権力は必ず暴走するってのは、国内国外を問わず歴史的真実です。なぜなら、自分たちは正義を実行しているのだという確信は、内側から歯止めが利かなくなるのです。どーしても、違った立場から、違った見方ができる機関が必要になるのです。これが故意に、私利私欲のため政策を曲げている場合は、早晩精神的に衰退自滅しますから、放っておいても問題なし。正義だと思い込んでる方が、災厄が大きいのです。(諸君も既に、この世界には沢山の正義が存在することにお気づきでしょう。)

 国連の「表現の自由」調査が土壇場でキャンセルされたニュースは、我々が思っている以上に報道の自由表現の自由が毀損されていることを政権が認識していると言うことでしょうか?つまり確信犯であると。これに抗するジャーナリストの数が極めて少ないというところが、日本の特質というかムラビトの特徴でしょうね。大勢に流され、体制に逆らえない本質的な体質。事大主義、権威主義的傾向と相まって、日本社会を益々息苦しいものとするのでしょう。(って、大勢に順応している者は、そんなに息苦しくないのかもね?)ぼくも昔は理系のノンポリでしたから、基地闘争で騒いでいる奴らを横目で眺めながら、「他にもっと生産的なことができないもんかね」なんて冷笑してました。その結果が、独立した先進国にはあるまじき、国土全域に治外法権の外国軍基地が散在している状況。特に沖縄は未だに占領下のような惨状ですね。それに政権が内部から手を貸していると。今や、日本の基地問題を特集するジャーナリズムは沖縄以外に殆ど無いのではあるまいか。来年は申年なので「見ざる聞かざる言わざる」がますます昂進するのでしょうか?ハレハレ

 少し哲学的に言い換えれば、「事実(現実?)を以って、当為(あるべき姿?)と成す」自然主義的誤謬がジャーナリズム全体に拡がっていると言えるでしょう。いくら食う為とはいえ、ジャーナリストや周辺の評論家、学者たちは恥ずかしくないのかな?それとも集団暗示であっちへ逝ってしまったのだろうか。再度言う、企業にしろ、学会にしろ、公共機関にしろ、組合にしろ、任意団体にしろ、組織と名が付くものはチェック機構が形式的になり働かなくなれば、必ず腐敗しますっ!これは常温放置された肉を見るより明らかです。(玉虫の経験智より)