10月12日(土)モンスター颱風襲来!首都圏を直撃しそうです。表現の自由考。

 強風豪雨!21℃~25℃、98%。今はまだ上陸寸前です。その内に暴風暴雨になるんだろうと身構えています。

 

 

 表現の自由とは:

 表現の不自由展に触発されて急遽時事問題のトップに躍り出た「表現の自由」はそんなに古い概念ではあーりません。焚書坑儒の昔から為政者は必ずしも自由な表現を許容してはいませんでした。いや、ほとんどの為政者は表現を圧迫していたと言ってもいいでしょう。日本でも、変な表現は「世を騒がせし不届き者!」ときつく罰っされたと言います。近年でもイスラム世界の信仰対象を悪くいうものはアサシンされてましたし、西欧ではナチスを褒める言動は徹底弾圧、韓国・朝鮮では日本を褒める者は有罪などなど、その社会で決して言ってはならないというタブーは表現の範疇から除外されました。それぞれの地域や政体、文化・習俗により違いはありますが、表現の制約は適法にせよ不法にせよそこいら中に溢れてまふ。でわ、その境界を何処に置くのかっ?児童ポルノ民族浄化は表現しては遺憾のか?肉食獣の世界では、弱い者(幼獣や老獣、怪我や病気で動けないもの)を狩って食うのは当たり前。倫理や正義は相対的なもの。その中で表現の自由を野放図に拡大してはカオスに突入!・・・では法律にアートは従うべきか?アートは法律の僕(しもべ)なのか?こりが秩序と自由の相克にて、おつむのある人々の永遠の課題なんですぅ。ども。

  ふう~。どうやら台風は過ぎていったみたいで雨は下火になったが、風いまだ強し。山に降った雨はこれから平野に流れてくるから、まだまだ安心できません。もう既に溢れている川もあるしね。どうか被害が少なくありますように。

 

 とは言え、表現の自由には条件を付けないほうがいいよね。カントの無条件な定言命法みたいに倫理の基準は、一端条件を付けたら無限後退します。条件つうのが価値観を含んでしまいますから。それでも社会生活の秩序を維持するためには無条件と言うことはありえなーい!という意見は分かる。でも、その制限は最低限にしておく方がエエでしょう。猥褻とか公共の福祉というのは、拡大解釈するときりがあーりまへんから。なにしろ表現の自由と言うのは、すべての民主的な価値の大本を成すものですからね。