9月29日(木)守るも攻めるも黒鋼の

 概ね曇り。24℃〜27℃、76%。秋にはあるまじき蒸し暑さ。





 国を守るということ:

 全ての国家はだいたい防衛を主務とする官庁(国防省とか防衛省とか)があります(コスタリカは例外ですが)。攻撃省とか侵略省というのは皆無ですね。故に、全ての戦争は防衛の理由で起こります。国家の防衛線というのが、侵略的にどんどん拡がって行って、他国の防衛線と重なるためです。国威というのは相手をビビらせて、相手の防衛線を縮小させるためにあります。

 もともと国民国家というのができて、国土と国民を固定させる前は、国境というのは曖昧で、所属する民族もその都度変化していました。だから現在のように国境紛争が多くなかったのです。今では世界中で200以上の領土係争が続いています。昔は、国境は砂漠とか山とか海とかの人が余り住んでいないところだったので、どちらかに所属していなくても、全く問題がなかったのです。それが国民国家ができて国民ができて、無主地先占とかいって誰もいない(現地人は人では無かった頃)土地を先に占領した国のものになったのは、帝国主義の為せる業。ああ、この風潮が世界を席巻してしまい、争いも拡散してしまったと。

 つう歴史を踏まえて、国を守るとはどーゆーことかを考察すると、それは守るに値する国をまず作ろうよ!つう所に帰結するのではないかと、かように確信いたします。国民が圧政を受け、飢えて、奴隷状態になっている国は守るに値するでしょうか?強いものが威張り、弱い者が虐げられる国は果たして守るに値するでしょうか?・・・ごく一部の戦争によってうまい汁を吸う者、その者たちに縋り付いている金魚の糞、はたまた戦争によって国が強大になれば(もちろん虐げられる国の代償として)自分も利益を得ると盲信している者しか戦争(防衛?)なんてしないでしょうね?

 それゆえ、国家予算の大部分を戦備につぎ込んでいる国の国民には、全体主義的な幻想で洗脳しつつ、甘い夢を見せ続けるしかないんですぅ。

 前述のコスタリカ常備軍を持たなかったおかげで、中南米やアフリカなどで頻発する軍事クーデターが無い数少ない国家です。その代り、治安維持の警察や海岸警備などの組織は充実していて、他国に比べると安全だそうです。一応、侵略された場合の緊急招集つうのはあるそうですが、今まで発動されたことは無いとか。こう言う国もあるんですねぇ。・・・とはいえ、何ごとも裏はあるもんで、結局平和憲法の日本と同じように、国防は米国に頼っているつうことかもしれんですねィ。タハハハ



 いじょ、「海保、警察、自衛隊を称えよ!」に対する、スタンディング・オベーションに接して思うこと、でした。わたしは個人的には身を挺して民の安寧に邁進している諸君らには満腔の敬意を払うものですが、国家のトップ(および与党の諸君)がこれを押し付けることには、幾分の違和感を感じます。いや、北朝鮮や中国などの全体主義国家の臭いを感じ取る者であります。どもども。