7月5日(火)選挙の季節に、人間性を考察す。

 曇り。24℃〜21℃、85%。1日にして最高気温が10℃以上下がったが、蒸っし蒸しは合い変わらず。

 お、おー!日ハムの試合をビーテレで中継してるどっと。久々に大谷君の雄姿を拝めるってもんだ♪なにしろ彼はすべてにおいて規格はずれですからねィ。テレビで巨人を全国中継しなくなった(少なくなった)時期と、巨人の凋落が一致しているというシビアな意見があったです。ども。






 参院選も中盤です:

 選挙カーに乗ってガナってる人は大分少なくなりました。これはイイこと。更にいえば、ヨウツベなんかに所信表明なんかを載せれるようになれば気になる候補者のはいつでも見れていいんじゃアルマイト。いつも一歩遅くなる公選法のネット対応が望まれまふ。

 とはいえ各社の動向調査によれば、与党が参議院で2/3を握る勢いだとか。これで憲法改正は発議でけることになります。あとは英国みたいに国民投票にゆだねられると。個人の自由か、共同体の利益か?つうのは繰り返す歴史ですが、日本では余りにも家族の崩壊や地域社会の衰退が激しいってのも事実です。人の為に生きる清々しさってのが忘れ去られた風潮もあり、共同体志向にも一定の理由ありと認めるに吝かではありません。しかし、それが一気に国家主義、人権の否定、平和主義の形骸化にまで進むのは、明らかに穴黒だと思います。

 ま、周りの国々(拡張主義の中国やロシア、先軍主義の北朝鮮、千年怨恨の韓国などなど)の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼・・・」して平和憲法を定めたことに不安を感じている勢力があることも分かります。でも脅威を感じたからといって、相手の国と同じような人権抑圧の国になってしまっては、果たして守るに値する国と言えるでしょうか。この辺が課題かな?

 守るに値する国になるためには、人々の為になることをするってのは必須ですが、それは強制される形の義務ではだめです。なぜならそれはある一群の人々の思惑に沿って、トンデモナイ方向に偏るリスクがあるからです。人々のためになる行動は、その人自身に任されるべきでしょう。それじゃモチベーションが湧かないですとっ!いやいや人間つうものは自分の為に行動するより何倍ものしやわせを、人の為に行動するときに感じる生き物なんですね。これが群れで生き延びてきた人類の本性なんですぅ。どもども。