9月20日(火)雨颱風が列島を縦断中。戦争についての備忘。

 台風前駆の雨、だんだん強まる。19℃〜20℃、84%。予定は全てキャンセルして早めに戻るなり。





 「人はなぜ戦争をするのか?」:84年前の往復書簡

 アインシュタイン(53歳)とフロイト(76歳)の往復書簡を読んだ。1932年のものである。ドイツではナチスの台頭、日本は満州事変勃発で国際連盟から脱退した動乱の時代を背景にして語られる。二人ともユダヤ系の学者であり、時代の空気を敏感に感じている。

 アインシュタインからの書簡:

 歴史の流れを眺めると、争いというものは絶えることが無い。これは人間の心自体に問題があるからではないのか。権力欲、金銭欲(戦争屋)、煽動による憎悪、破壊衝動は人間の本質的なものではないのかと危惧する。知識の不足や暗愚が原因かというとそーでもない。現実を見ると、知識人の方が大衆操作の暗示に罹りやすいと言える。

 これらを抑制できる可能性は、国家権力を超える機関に委ねるしかないと思う。全ての国家が一致協力して、一つの機関を創り上げ、この機関に立法、司法権限を与えて、国家間問題の紛争解決を委ねる。問題は、・司法は人間が行うのだから圧力を受けやすいこと、・決定を実行に移す力が必要になること、・各国が主権の一部を完全に放棄できるのか、などである。

 フロイトからの書簡:

 力の強いものに対抗するには、多くの弱い人間の連帯(団結)が必要になる。そしてこれを法(権利)で守らなければならない。暴力の支配から法の支配へ、というのが歴史の流れである。しかしこれには、多数の意見一致と長期継続する安定が必須である。団結心維持には感情の結びつきが必要となる。

 人間の衝動には1.保持し統一したい衝動(愛)と、2.破壊し攻撃する衝動(憎)がある。これらはお互いに深く結合し表裏をなしている。それゆえ人間から攻撃的性質を取り除くことはできない。しかし戦争や殺人に嫌悪や憤りを覚えるのも人間である。原始時代から抜け出して、文化の発展、知性の向上、その知性による衝動の制御の途上にあると見ることもできる。文化の発展が生み出した心のあり方と、科学技術の発達による途轍もない惨禍への不安が平和主義へと向かわせる。しかし、大多数の人間が平和主義になるには、かなりの時間を要するだろう。




 感想:

 日本だって平和主義者が増えたとはいえないもんねぇ。酷い惨禍を被ると、一端は平和主義が盛り上がるが、結局揺り戻しで元の木阿弥。それに広義の戦争ってのは、テロやゲリラであったり、貧困や格差、差別の状態も戦争と言えるし、たんなる戦いが無いということでもない。もしそうなら、奴隷になっても、貧困でも、差別されてても、じっと我慢をしていれば平和だということになる。それは少しちげーよね?ガンジーマンデラキング牧師のような戦い方もあるんですぅ。それは戦争とは呼びません。
でも、ナチスのようなのが出てきたらそんな甘くはありまへん。何しろ自分たちが勝っ手に「劣等」と位置づけた人々を無慈悲に頃しまくるんですから。無慈悲な指導者も、無慈悲な国民も決して無くならないとしたら、相互に手出しできないように鎧うしかないのかなぁ。ショボーン

 少なくとも、かっこいいとか、素晴らしいとか、勇ましいとか、戦争の悲惨を覆い隠すような報道、教育、漫画、ゲーム、煽動は止めるべきでしょうね。細々とでも、これを継続するしかありません。