8月17日(水)蒙霧升降す。 「まだ○○に消耗してんの?」は悪口として、応用範囲が広そうだっ。

 台風一過の真っ晴れ。24℃〜34℃、77%。天高く、南風強し。あ、今日も一応プールには行きました。



 


 裏腹理論とは:まだ消耗してんの?


 この世のことに究極の正解はない。ものごとには常に両面があって、良い事の裏には悪い事があり、また悪い事の裏には良いことがあるという経験論ですぅ。もちろん良い/悪い、善/悪、正/邪も相対的なものになります。いわゆる一つの、価値観、宗教や文化習俗、生い立ち、民族や環境などによってそれぞれ異なります。

 「物語」というのは起承転結で、完結し大団円、悲劇的、喜劇的、などイロエロな結末で一応締めくくられますが、人生はそーは行きません。しむまでは山あり谷あり、幸運が不幸を招き、不幸がまた幸運を招くの「人間(じんかん)万事塞翁が馬なり!」であるわけでやんすよ。すなわち人生は、物語のように始まりがあり、かつ終わりがあるというものではナインだすぅ。

 というような人生観に鑑み、オリムピックの感動を呼び起こす原因を探ってみれば、「自分一人のことなど小さい小さい。人のためみんなの為に役立ってこそ遣り甲斐つうものが湧き上がるんですぅ。」ということも真実かもしれません。我が身の苦労を顧みず、みんなの役に立つ人生って美しいですねぇ。

 しかしわたしはここにこそ、決して無くならなかった戦争の源泉を見るんです。みんなの為に我が身を犠牲にする美しい心根こそが、戦争を生み、自分たちの仲間以外は虫けらのように虐殺してしまう醜さの裏腹だったんです。まさに美醜表裏一体なり。


 んじゃ、みんなで助け合う心を無くしてしまえばいいのん?・・・そこがすっぱり割り切れんから、人類は苦労してんじゃないかな。進化適応的に言へば、ヒトはクモやカマキリのように個体で生きるものに非ず、またアリや蜜蜂のように完全にコロニー型の生き物でもない。兵隊アリなんて他種族が襲ってきたら、しむまで戦って、しかも自分のかだらが食われているうちに他の同族を逃がして種を保ってきました。他の種と戦うんなら進化適応の意味があると思うんすが、同種内で大量に頃し合うってのは適応的とも思えません。まさに生来の闘争心と共感心のバランスが崩れてしまった不適応としか思えませんよね。尚且つその上に科学技術が発達してしまって、その利点が逆に大量破壊兵器へと向かってしまいました。人類はその悪意や激情、闘争心を自ら制御するすべを見つけなければ、遠からず自滅の道を歩むでしょう。




 ん?なぬ?闘争心はスポーツやゲームで昇華でけるって?・・・ふむ、昔のオリンピアードもそんな主旨だったが、ギリシャの各都市国家間の闘争は収まらずに、衰退してしもた歴史はあるな。共同体の規模をでっかくするって案もあるが、これも分裂した群雄割拠と統一の繰り返し。そして今の世界は、分裂過程にあるように見えます。・・・哲学者や倫理学者の無力感が手に取るように感じられる今日この頃。(あべそーりの核先制攻撃容認論に接して)ショボーン


 もうあべさんを漢字で呼ぶ(書く)気力もなくなったから、これからはひらがなになります。よろぴく