5月8日(日)宗教とは何か?宗教的なものとは何か?

 晴れ。18℃〜27℃、45%。連休最後の日ですから、どこもかしこも大賑わい♪


 〜のようなものとは:

 この世界には、何とも定義しづらいものがあります。例えば、「生命とは?」とか「意識とは?」とか。自己、心、美などもそーかも?これらを議論するときの困難は、それが各自の内心でどのように捉えられているのか?というのがバラバラで、纏まりが無いのです。この辺の議論を前に進めるための、技術的手法はあるのか?それは主題の周りにメタな枠を嵌めればいいのです。例えば、「生命的なものとは?」とか「意識的なものとは?」とか。直接肉薄できないときには、「〜的なものとは?」というバッファーをかませて、対象から1歩引いた姿勢を取ることが、極めて大切なんですぅ。生命そのものに迫るのは難しくとも、生命的なものは、イロエロと考えれます。コンピュータ上のアルゴリズムとか、化学物質で生成され自律的に運動するものとか、人間に近いロボットとか、アバターとか、モノホンの生命自体よりも扱いやすくなり、かつ生命の本質を表すものも出てきます。そして子供に取ってのテディベアは果たして生きているや否や?きっと生きているんでしょうね。・・・このように対象に迫るスタンスがかな〜り幅広くとれるようになるんですぅ。科学的に分けて分けて細かく分析するよりか、案外問題の核心に迫れるのではないんか?・・・ つうような議論を聞いた。


 そーいへば、「計算的なものとは?」つうことで計算を手続きに分解したチューリングマシンが今のコンピューターの基になったのは興味深いですぅ。・・・そしたら全部オン/オフ(1か0)に置き換えられちゃったと。


 すかす、「〜のようなもの」ですべてを置き換えて単純化しちまうのは、一種の逃げかもしれんですねぇ。 時にはドン・キホーテのように叶わぬ夢に正面から挑戦することも大切なのかも。 ショボーン