5月7日(土)人は独りじゃ生きれませんが、大勢で生きるのもまた大変です。

 晴れ。18℃〜25℃、79%。なんか遠方がどんよりしていると思たら、黄砂が飛んできているようです。




 普通と異常との境界:

 これは個人と社会との関係でもあります。個人の行いが社会の大勢を占めればそれは普通になり、目新しいものは異常と見做されます。つまり普通と異常の境界は相対的なのであーる。フランス革命啓蒙思想がもたらした近代は、人間は自由な存在であるとし、その権利において平等な存在であると高らかに宣言しました。

 しかし啓蒙は理性に基づかねばならんとし、理性を失っていると判断された者は排除されたのです。即ち人間とは”理性”をそなえた自由な存在であると限定され、精神障碍者は理性を失ったと判断されその自由まで否定されてしまいました。光のなかの影と申せましょう。それまでは村の中での変な人とされ自由に生きていましたが、患者として隔離されたということです。この傾向は現代まで続いており、認知症老人の隔離と監禁がどんどん進んでおります。

 また例えば、集団で同じことを1日中集中してできることが正常とされた社会では、多動性の人やコミュ障の人は異常と見做され、治療の対象とされます。そして治療が成功したとはその堅苦しい社会に適応したと言うことになり、個人に取っては必ずしもしやわせではありません。これは政治的な信条にも関連付けられ、全体主義社会においては自由な思想を持つ者は異常とされ、精神病院などに収監されました。

 普通とは何か?この相対性に常に関心を払うことは、社会的にも極めて大切なことだと思いますです。ハイ (玉虫のフーコー的人間観より)