1月4日(月)ホントに納得しないことに、分かったような顔をしないこと

 白っぽい快晴。5℃〜15℃、52%。泳ぎ初(ぞ)め♪ちかれたぁ〜。



 

 夏目漱石「私の個人主義」:「浮華を去って摯実につく」


 昨夜、ビーテレで「坊ちゃん」を見た。曲がったことが大嫌いで嘘がつけない男が主人公です。そして今日、青空文庫にて表題の講演録を読んだ。泣けた!まるで現代を予言しているような珠玉の言葉の数々。中でも、表題の発言が下記の文脈で出てきます。借り物の知識で威張っていても、本当に自分が納得していなければそれは偽物であって、本当の自己は確立できないという反省から出た言葉です。モノホンになりたければ壁(鉱脈?)に突き当たるまで、自分の力で突き進むべきであると。


引用)「けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華を去って摯実につかなければ、自分の腹の中はいつまで経ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
 たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売をすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。」1914年11月25日講演会(学習院にて)

注)浮華(ふか):[名・形動]うわべは華やかでも実質の乏しいこと。 摯実(しじつ):[形動][文]心がこもり誠実なさま。


 因みに、「坊ちゃん」のモデルはと聞かれ、赤シャツを仄めかしているが、この講演でのエピソードを見ると漱石自身が半分以上入っていると思ふ。校長のたぬきは嘉納治五郎さんがモデルかも?きよのモデルは友人米山の祖母で、お墓は駒込の養源寺にあるという。お寺の名前だけは原作とおんなじ。







 追記)すかす、こんな漱石を欧州に派遣したのですから、当時の文部官僚にも少しは度量があったと言ふことでしょう。現在の官邸の狭量さを見て、そーおもたですぅ。