5月29日(金)なぜ好きなことが続けられないのか?

 概ね曇り、時折細雨しとしと。終日21℃前後と中位安定した気温。







 好きこそものの上手なれ:

 え〜と、昨日中断したエントリの続きです。ゲームは好きだけど、数学は嫌いだっ!と言う人が多い理由を考えてミタ。それは受験制度と、算数の教え方にあると!
 もともと日本人は算数が大好きで、和算つうのが流行った江戸時代には、算額というのを神社仏閣に掲げて、和算好きな諸氏に挑戦したと。その中には微分積分などの高等数学も含まれてました。また各地に算学好きなお宅が多かったので、力のある学者は地方巡業する放浪の算学教師で食って行けたんですぅ。これは西洋、アラブ、インド、中国を含め、他に類例を見ないことでした。吟遊詩人ってのは西洋にもあったし、日本でも西行芭蕉がいたけどね。

 このような文化的背景を持つ日本ですから、小学校に入学した1年生たちはみんな算数が大好きだったんですねィ♪しかしその後、分数の壁、文字式の壁、二次式の壁を経て、受験数学で壊滅に至る訳でやんすよ。何しろ考えたり工夫したりするゲーム感覚が無くなって、あろうことか暗記科目になり下がるからですぅ〜。意味は良くワッカンナーイけど公式を覚えたり、問題のパターンを研究して答えをそのまま覚えたり、考えることを放棄して短時間で効率よくマークシートを完成させる奴が、数学で良い点を取れる訳です。ですから、どうにか数学で落ちこぼれずに、何とか偏差値を上げて、理系に合格した若者も実は数学が大嫌いになってるんす。ショボーン

 「覚えること」から「考えること」への大転換が大学の高等数学教育で行われますが、その過程で答えを覚えるだけの天才は落ちこぼれます。考えること、工夫すること、理解すること、が大好きなほんの一部の者が数学を続けてフィールズ賞(数学のノーベル賞と言われ、40歳を超えると受賞でけない)まで行くんですね。日本は古来からの和算の伝統がありますから、それでも受賞者数は世界第5位を保っていまふ。

 偏差値教育の最大の難点は、ブランドを入手するため、効率主義に走り「理由はどうでもイイから、はやく答えをおせーてオクレ」つう若者が増え、よくよく考えてから結論を出すということができなくなることです。これは同調圧力や感情、あるいは単なる印象で物事を決めるという短絡性向に走り、社会を不安定化します。数学の最大のメリットは、実はこの考える力を養うってことなんです。百年以上考えても正解がでない問題がざらにあるからです。それに実験とか経験に依らず、純粋に論理的な手順だけで研究するからですね。結果としてイロエロな分野で活用はされますが、その本質は考える喜び以外にはナインであーる!

 「好きなものは続けられる、嫌なものは長続きしない」という生物の大原則に則れば、小学校・中学校の算数の先生の役割は、何しろ子供たちを算数が嫌いにならないように(いや大好きに)させることなんであーる。正解を求めることに汲々とするよりも、失敗しながら上手くなっていくゲームのようになってほすいと心から思います。ども。




 番外:

 将棋や囲碁、チェスなどもゲームの一種だと思えば、ハンカクエイスウくんのような人物が誇りを持って生きられる日本ゲーム院を作って、有段者は文化人として遇するようなシステムも必要なんじゃあるまいか。お互いに叡智を尽くして、相手に勝とうと考えこむところは、全く同じなんじゃあるまいか?




 ブランクの位置とは:

 「森元 首相」と「辻 元議員」。ブランクの位置の違いで、森さんと辻元さんが、森元さんと辻さんになっていまうんであーる。ついでに現役と引退も逆転するんであーる。ぷっ