11月23日(木)勤労感謝の日、虹蔵不見(にじかくれてみえず)。

 朝のうち雨残るも、午後から晴れ間。6℃〜13℃、61%。落葉多し。

 風邪が大分良くなったので、近所の銭湯に行ったら定休だった。ザンネン 仕方がないから家で風呂に入った。入った後の掃除が面倒くさいんですYO−!(最近、こういうケースが多い。便利だけど、後が面倒!)





 「分かる」と「操る」とは:

 科学でものごとの機序が分かると、技術で操ることができる、ということは良く言われます。しかし操れるから分かるというのも結構多いです。いわゆる訓練系の動作ですね。水泳とか楽器演奏などは、いくら大脳で理論が分かってもかだらを操れません。練習を継続して身体が反応しないと小脳が分かってくれません。畳の上の水練になってしまうんすよ。

 これの分かり易い例を、独立研究者の森田真生氏が「新潮」に掲載してました。いわゆる一つの数学の発展史です。数学は分かると操るの繰り返しで発展してきたのだとか???例えば小学校でやってるのは「分かる系」の勉強です。鶴亀算旅人算など、意味を理解しながら勉強します(和算?)。意味が分からないと、それこそ意味不明で答えが出せません。すかす、求める答えをXと置いて式を立て、それを何も分からずに、式変形の手順だけに従って操れば(中世イタリア?)、自然に答えが求まると。

 ギリシャ以来の幾何学も、図形の意味を考え乍ら、補助線を引いたりして解を求めます。これは図形の意味が分からないと解けません。すかすここでデカルトが座標の概念を持ち込んで、図形を式に変換しました。その方程式を手順に従って変形して行くと、図形の意味は分からなくても、式の操作だけで答えが自動的に求まっちゃうんですぅ!このあとリーマンがまた式の世界に意味を求めて多様体とかリーマン幾何とかを考え出すんですが、コンピュータもどっちかつうとアルゴリズムという操作で、意味も分からず解を出すと言えるのかも知れません。だって、コンピューターは美味しい、綺麗だ、愛してるなんていう世界の意味から隔絶してますからね。でも「操る」ー「分かる」の交互のパターンから見れば、その内にコンピューターにも人生の意味をかみしめる時期が来るかもしれませんねぇ♪ ホワホワホワーン






 ニュース:タミフル飲むと突然走り出す副作用あり。

 という記事が出てた。むかし一時騒がれたが、とうとう厚労省も認めて注意書きをしたようだ。こりもブッシツが脳を操る例の一つであろうか?魂が空中で独立しているわけではないんすから、全ての考え(脳活動?)は身体により影響される証左であーる。ども。・・・ぼくも胃を取った時に、けっこう馬鹿になったという自覚はありました。今後展開される臓器移植のときの脳への影響も考えておいたほうがイイな。どもども。

 追記:ちょっつ近所を覗いてたら、変な動作はクスリの影響ではなくインフルエンザそのものの影響だっちゅう見解もあるようだっ!因果関係か相関関係かというのは極めて判別困難なんですね?毎年1000万人近くいる罹患者(推定)の内の50人とか100人の現象ですから。いやいや、仮にインフルに罹っていなくても、変な行動をする人はたくさんいますから、その切り分けが極めて難しいと。これが疫学的な研究の壁でしょうか?ん?