12月17日(木)鮭が河川を遡るころ。

曇りがちな天候。9℃〜12℃、45%。神宮前方面に進出す。この辺もイリュミネーションが極めてきれいですぅ。・・・今日キーボードを注文した。一週間ほどで入庫するようだ。ぷっ







「 数学の」話し:

最近「数学する身体」という本を上梓した森田真生くんの話を聞いた。代数幾何で世界的な業績を残した岡潔を内面化している若手の独立研究者で、自分の生き方と数学を身体性を通して結びつけています。元々ギリシャ数学は、公理、公準という要請で「数学についての」という哲学的な難問を切り離して、「数学の」発展に弾みをつけたのでした。その西洋数学は少ない原理でイロエロな問題を一気に解決しようというもの。反して和算は、鶴亀算とか旅人算とかの個別の文脈で、具体的な計算を積み上げ全体の背景を彷彿させると。かなーり文化的な背景が異なっているでやんす。


岡潔は、その根源を道元芭蕉漱石に求めたのでした。すなわち数学とは「主体である法が客体である法に関心を集め続けることにより、内外二重の窓が開け放たれ、清玲の気が入ってくること」なんだと。法とは心の中に浮かび上がってくる総体で、勿論抽象的な思惟や夢幻も含まれます。この少しずつ内側に時空に束縛された自然界があり、更に限定的に自他の区別からなる社会があると。日常の生活での関心のあり方は、この逆であって社会的関心が一番強いです。あえて自然界や法界に関心を寄せ続けると、だんだん自己から解き放たれて自由になれるんだ。

なんかだんだん仏教のようになってきますたが、自己の開放とは何でもいいからそのものになっちまうんだっ!それは絵画でもいいし音楽でのイイ。数学のような抽象思考は、最初は精神的に重いが、そこを通り抜けると精神が集中され、更に進むと精神統一の境地になって、清玲の気が流れ込んでくるんだ。そして人の悲しみを理解することから、自分もすっかり悲しくなっちまう情解になり情緒が生まれるんだす生まれるんだすぅ。このとき人間は葉っぱになりまふ。幹の先の、枝の先の、小枝の先に生えてる一枚の葉っぱなんですぅ。でも幹や根っこを通して全体と繋がってるから死なないんですねィ。

そして生きているってことは、自他通い合う心の喜びで、ただ生きているってだけで楽しいし、懐かしいし、嬉しいんだ。just being there!ただそれだけで懐かしいし、楽しいし、それが喜びでなんだ♪意味や目的や手段はまったく必要なーし。ただ数学に没頭するだけで、こういう心境を得た証人が岡潔なんですと。ま、若くして哲学に嵌ると厭世的になったり、冷笑的になったりするのが多いんですが、森田くんは極めてポジティブでいいんじゃないでしょーか。ジャン