5月24日(日)つうことで、時折錯視を実感することは極めて有意義ではアルマイト

 薄曇りのち薄晴れ。19℃〜24℃。午前中雨なんて予報もあったが、大外れっ!

 最近の気象庁は保守化していて、悪い方を予測していれば、外れても怒られないだろうなんて安易な保身?地震津波も火山も天気も、み〜んなおんなじっ!・・・ずてぃんしゃでの遠出を自粛した八つ当たりなーり!





 認識の恒常性と錯視とは:

 昨日、神田小川町に進出した帰りに、神田淡路町にある「錯覚美術館」に寄ってみたんですよ。毎週土曜日に開館してるんすが、JSTやCRESTからの資金援助が尽きて今年一杯で閉館するんですぅ。ここは「計算錯覚学」の総本山だったのにねィ。ザンネン

 基本的な錯視パターンが体系的に展示されてて、学生の説明員も付いてまふ。 脳の視覚高次処理が、外界を環境の変化にも関わらず、認識に恒常性を与えるために働いていまふ。その進化の適応力自体が、錯視を発生させているんだすぅ。

 例えば色に関して、森の中の緑の環境、夕焼けの赤い環境では人の肌の色(光の波長?)は全く違うんですね。それでもその人の肌は同じなんだと、脳内処理した結果、人の肌はその人固有のものと認識されます。つまり脳内でかなりの補正処理をしながら、認識の恒常性を保っているんす。これが、特殊な実験状態に置かれると、錯視・錯覚として顕在化してくるんですぅ。色以外に、明るさや形、はたまた輪郭線や奥行き処理などなど、V1からV5に至る段階的な視覚処理の各段階で、イロエロな錯視を生じているんすねィ。

 でも、これら錯視する脳内処理が無ければ、我々は自然界の対象の同一性すら認識できなくなるんすから、上手く生きていくための一種の副作用と諦めて、これを受け入れるしかないんです。 でも我々の認識が如何に危うい、ふわふわしたものであるかっつうメタ認知を、ココロの片隅に留めておいた方が、自他を含めてより客観的に世界を見つめることがでけるんだい!ハハハ