12月6日(土)同時性は一体感を齎すのかっ!

 冬晴れ。2℃〜9℃、50%。と気温は一桁台で風が耳につべたいですぅ。太平洋側各地からも初雪、初霜の報。






 歌と旗とは:サッカーを見ながらガンバッ!レッズッ!

 サポーターがみんなで歌をがなりながら旗を振って応援してまふ。これは一体感、臨場感を醸し出すのには最適なツールです。旗の方はローマ軍団の時代から軍隊のシンボルとして活躍してきましたが、歌は近代国民国家の成立過程で、その統合中心的なツールとして活躍してきました。

 哲学的に言へば、「同時性の共有」でしょうかっ!複数の人々がある場所に同時に存在する、即ち場の共有にとって、一緒に同じ歌を歌うのが共同体意識を醸成するのに最も強力なのは、労働歌や歌声喫茶を見ればわかるでせう。ライブなどでの一体感も演者と観衆の相互作用からなる同時性、臨場感がものを言います。これでかだらの動きが同期すれば言うことなーし。みんなで一緒にぴょんぴょん飛んでライブ感はさいっこー!

 てなことから推論すれば、異なる民族(文化、宗教、言語、慣習・・・)を国民化して統合するには、合唱、唱歌、国歌などのコミュニティ・ソングが必須のアイテムだったですよ。これらはフランス革命の頃を起源とし、国民国家の拡がりと共に世界中に拡がりました。日本では幕末の「宮さん宮さんお馬の前にひらひらするのは何じゃいな♪」から、明治の唱歌のころに国民がでけましたんや。

 しかして哲学的に「同時性」を考察すれば、声に発すればそれを耳で受信するまでにどーしてもズレが生じてしまい、同時とは言い難い?それで個人のばやいには、音声を発しない内心の語り掛け(沈黙の声)のみが同時性を担保するとした(デリダ)。では集団のばやいはどーかっ?それはオーケストラの指揮者の動きを見ながら演奏するように、身体リズムの同期を以て為されるのだすぅ。ムクドリイワシの集団行動とおんなじ?斯くして、同時性は声から身体性に移行されるのだすぅ。


 おおーっ!ガムバ優勝っ!ヤッコさんいやヤットさんがむばったねェ♪コンノが泣いて居る♪みんな泣いている♪16位から這い上がった根性物!浦和とは裏腹。ショボーン






 蛇足:同じ釜の飯を食う、ってのも一体感を醸成するが、こりは運命共同体つうことで、同じ船に乗った仲間と言うことなのかな?









 選挙について、マジに考えるほどホゲーとなってイライラしてくるから、もうマジはまじでやめだっ!

 もーどうにでも操ってくらはい!せこいセコーさん、わるいイイダコさんってな心境。ドー考えてもジミンは過半数取るよね。それでまたやりたいことを遣りたい放題ですYOっと。与党にも野党にも入れたい人が皆無なのは確かだす。かなーり譲歩して、いや国民の義務として、好ましくないとこはあるが、かなーり我慢して入れてみようかっ!つう人も皆無で、入れたら後で自己嫌悪を催すような候補者ばっかしなんすよ、わだすの選挙区は。それで厨房の時に習ったギリシャ陶片追放ってのを思い出しますただ。これはイワユル一つの僭主(わるい支配者)排除システムだすな。悪い人候補を陶器の欠片に書いて一定時期追放してしまうと。

 だれも選ぶ人がいない時、白票の代わりに「どーしてもこのしとには政治家になって欲しくない!」って人にマイナス投票して足を引っ張るシステムだすな。そしてそのマイナス票を有効得票から差し引くと。アハハ・・・なんか軒並みマイナス得票になりそうだすな?当の陶片追放自体は、余りにも足の引っ張り合いが激しくて、イイ政治家まで追放の憂き目にあうことが多いから、結局アテナイは衰亡しちまったらすいですが。ショボーン

人は人の、イイとこよりかワルイとこを強調して見がちなんであーる!嫌いな奴のイイとこが見えるようになったら、政治家として一人前だっ!