10月7日(火)ノーベル賞で騒ぐのは、ちと権威主義的だとは思えども。

 雲の多い秋晴れ。18℃〜22℃、53%と過ごしやすい気候。ゴーヤの葉っぱが大分黄色くなってきた。今、成長途上なのは殆どが白ゴーヤの実。やはり時期のズレた品種を植えるのがコツですね。






 ノーベル賞

 物理学賞で青色発光ダイオード発明者3名が受賞した。これは遅きに失したと言ふべきか。何しろその効果は世界中で、既に使用され実感されてますから。発光の3要素@RGB(赤緑青)のうち極めて困難だった青がでけたのですから、その応用は無限だすぅ。ノーベル賞も時折間違えることがありまふが、このB.LEDに関しては極めてガチな選定。

 一方、医学生理学賞では一見地味な研究が受賞した。なんと「脳内の位置定位システムの発見」だと。ネズミが自分の居場所をどうやって認識するかの研究だす。大分前に自分が何処にいるのかの場所細胞ってのは発見されていた。それに加えて方向とか距離を掴むグリッド細胞が見つかって、全体の位置定位システムが分かったんだと。(って、これは大分前から分かってたことなんですが、今では教科書に載るほど当たり前になったのでノーベル賞の出番です。)

 養老さんが前から言っていた「私とはカーナビの矢印であーる!」つうのの学問的な基礎づけ。メルロ=ポンティもゆっていた「身体とは一つのイメージである。」との類似。脳科学でも、バラバラな五感からの入力を統合して、一つの身体イメージを形作るのは脳内の頭頂葉であるとしている。我々が確固たるものとしている私の身体、これが脳内で作られた像(イメージ)であるとする実証がありまふ。米国の脳科学者が先天的脳内血管の欠陥により出血し、脳のかなりの部分が損傷された。その後のリハビリにより、奇跡的に復活した後、科学者の目でその時に自覚した症状を、「奇跡の脳」で克明に記録した。これによると、脳内の身体定位機能が失われると、かだらが水のように流れ出して、世界と一体となってしまうんだ。そして、えも言われぬ幸福感に包まれるんだと。これを読むと「ふむ、しむのも悪くないな?」と思わせる悪書です、焚書すべし(ウソ)。ちなみに赤ちゃんでは位置定位にかんして、方向感覚、位置感覚、距離感覚の順で発達するようだ。また老いてボケると位置定位感覚もボケて赤ちゃんに戻り、徘徊するそうだ。薀蓄ですが、ロンドンのタクシー運転手は、位置定位に関係する脳の海馬が極めて大きくなるそーだ。これホント。



 日本国憲法9条がノーベル平和賞の有力候補に挙がっているとか?受賞すれば佐藤栄ちゃん以来だな。でも非核三原則がいまや氏に体。9条に関しては如何に! 核を始めとした大量破壊兵器が出現した以後、マジな殲滅戦は意味を成さず、武力は外交や抑止力としての意味しか持たない。つう意見に与すれば、永遠に武力による威嚇や行使を禁じた9条がノーベル賞で国際的に認められれば、武力による威嚇や行使を日本に対して行使した如何なる国も国際的に非難されるであろう。これを抑止力と言わずして何とする!かな?