3月13日(木) 木の芽風雨または春の嵐

 煙雨しとしと、のち強雨。9℃〜16℃。昼から南寄りの強風に変わり気温上昇。夜にかけ雷・強風・波浪注意報。春の嵐



 言語の限界:語りえぬもの

 言語と言うものは、勝手に定義をして勝手に否定するという元々自己撞着的なところを内在している。例えば中世に流行った「神の存在証明」にいわく、全知全能の神にはもちろんできないということはなーい!さすれば「存在しない」などということは有り得ないのであーる!とか。プ


 「意味」というものはこの世界に対応するものがあって初めて成り立つのであーる(世界の像としての言語)。逆にこの世界に対応しない言語は無意味であーる。とか勝手に定義してみるテスツ。思考可能なものは即ち言語的に表現可能なものに限られると。逆に言へば思考不可能なものこそ語り得ぬものなんだすぅ。


 この語りえぬものは大きく3つに分けれるとヴィトゲンシュタインは言ふ。
 1・言語で綴られる文章は、それに内在している論理形式を叙述することはできない。論理形式は文章に内在する骨格として示されているだけであーる。プ
 2・論理的な自己:世界の限界はまた論理の限界でもある。我々に思考不可能なことを我々は考えることができない。故に何が思考不可能なのかを語ることはできない。自分だけと言おうとすると必ず他者を引き合いに出さなくてはならない。ププ
 3・神、世界の意味:世界がいかにあるかは、より高きこと(神など)にとって全く無意味である。神は世界の中に自らを顕さない。世界の像としての言語でこれを語ることはできない。すなわち神秘であーる!プププ


 このような論理の為の論理から逃れ出る方法は果たしてあるのであろーかっ?33歳で「論考」を出版した後、ヴィトちゃんはながーい雌伏(哲学からの逃走?)の時期(50歳を過ぎるまで)を過ごすのであった。ジャン  以下続くかも?








 作法とは?

 マナーとは微妙にニュアンスが異なり、むしろ「しきたり」に近いかも。その世界の伝統に則った決まったやり方であり、それを外すとその世界から叩き出される恐れがある。古典芸能、武道、詩歌、礼式ばかりではなく小説や音楽の決まりきった作り方も含む。近年では科学の方法論の世界まで作法は浸食し、これを守らない発見は決して認められないのであーる。www