3月12日(水)桃の蕾が開きかける頃、ルール逸脱についての持論を述べる

 かすみ晴れ。4℃〜16℃、37%。南寄りの風が暖かい。花粉極めて多し。






 
 
 ところ変われば品変わる:ルールはルールだっ!

まだ若年の頃、パリに最初に行った時の思い出ですが文化の違いと言うか常識の違いで非常に驚いたこと3つ。
・地下鉄のドアは乗客が手で開ける。
・街中いたる所でカップルがず〜っと抱き合ってキスをしている。(これは最近日本でもあるのかな?)
縦列駐車するときにバンパーで前後の車にぶつけて隙間を開ける。(これは音もバンバンすごいですぅ)

 この他にも、町なかで物を食べながら歩いているとか、信号を守らないとか、反して礼儀正しい(ドアは必ず次の人の為に押えている、少しでも邪魔したら必ず謝るなど)とか、たった1日いるだけでも東京との違いが際立ちます。



 しかしてそのこころ(精神の核)は何か?それは実質を重んじて建前を軽視するところでしょうか。「ルール」というのは人々が仲良く暮らすためにやむを得ず作った道具で、必要のない状況ではルールに決して縛られません。「ルールだから守るべきだ!」とは決して言いません。逆にルールがあってもそれに従う状況でなければ敢えて従いません。人が主で規則が従と言ったところでしょうか。

 反して日本では、ルールが主で人が従といったところがありまふ。ある学会で会場では携帯を使わないで下さいという要請があった。休み時間のガヤガヤしている会場で携帯を使っている若手を見たオヤジが「会場で携帯は禁止だといってたろうがっ!」と怒鳴り出して若手と喧嘩になった。「休み時間で誰にも迷惑が掛からないからいいでしょ?」とか反論した若手は「ルールだルールだルールは守れっ!」というオヤジ連合に負けて、しぶしぶ外へ出て行かされますただ。

 いったんルールがでけたらば何が何でも守り通すという律義さには見るべきものがありまふが、ルールに縛られて身動きが取れなくなるっつう弊害も散見されまふ。遵法精神は平時の治安や秩序には必要ですが、緊急事態の有事になったればこれが足かせになることが多いだす。大震災や津波の時にルールを破ってでも柔軟に対処していれば大きな災厄にならなかった例はたくさんありもす。これが役人にはないが政治家に本質的に与えられた法律逸脱権と言ふ自然権なんすよ。しかしこれを敢えて行使でける腹の据わった大物が少なくなったということでやんしょうか?嗚呼、無情!