3月11日(火)3.11東日本大震災・福島原発事故から3年目、黙祷

 快晴。1℃〜10℃、29%。湿度が低いので真っ白な富士山が良く見えました。寒いけど花粉は少ないと。明日は気温が上がるから多分花粉は多いな。裏腹。






 一ノ瀬教授(イギリス経験論の立場)の考えをもう少し聞く:哲学熟議in東大

 原発事故の対応には「予防原則」ってのが適用されている。これは、計算不可能なリスク(一たびそれが現実化すれば、壊滅的かつ甚大な規模の損害をもたらすもの)に対して意思決定、政策決定する際に用いられる。通常は環境問題などある限界点を超えると回復不可能になるときなどに使われる。これが今回の原発事故に対しても適用され、緊急避難による多数の関連死を引き起こしたと主張する。

 予防原則を絶対視した為に最悪を考えて、それが却って悪化を招いてしまい1660名もの犠牲者を出してしまった。予防原則を絶対視するのではなく、予防手段のリスクをも勘案して総合的にバランスを取るべきであーる。予防原則を無条件的に妥当さすれば、生きているだけで活性酸素が発生し寿命を縮めるのだから呼吸も食事もできなくなーる。まさに「健康の為なら死んでもイイ!」ではなかろうかっ!

 さらに予防原則を無批判に適用しようとすれば、確率を度外視して最悪のシナリオを想定し意思決定することになり、予防原則自体を無効化しマヒ状態に陥れるリスクが生じる。リスク回避を実施したリスクと実施しなかったリスクを常に総合的に捉えて、全体のリスクを最小化するべきであーる。やってもリスク、やらなくてもリスクで、これはまさに「前門の虎、後門の狼」状態であーる!今回の場合は「避難のリスク」と「被曝のリスク」を総合的に判断する必要があったのだあああああ!


 いじょが彼の主張の概要です。何やら池信に似ていまふねィ。ほんとはこれに見えないものに対する心理的なリスクや予見不可能なリスクが介在して、現実はもっと複雑な様相を呈します。勿論、これに対する公共哲学者。臨床哲学者、政治哲学者からの反論はいっぱいありましたが、一ノ瀬理論にも一理ありと私は考えます。どんなに有用な原理でも(例えば予防原則)、それを絶対視した途端にオセロ返しで悪に転じると。正義の戦いで人が大勢しむようなもんですぅ。タハハハ




 あと、小中陽太郎老人が言ふには、「原発は戦争の贖罪として始まった過去がある」と申してマスタ。今では大反対しているグループや人々の中に、当初は大賛成だったものが大勢いたんだと。これには勿論、教会関係者や環境保護関係者も含まれてます。いずれにせよ兎角情緒に流されやすい問題に際しては、冷静に定量的に利害得失を書き上げる態度も必要でしょう。Don't take it personally.