2月21日(金)思い込み3題

 白っぽい快晴。3℃〜9℃と未だ寒し。湿度39%。北西風やや強し。公園にはサザンカと梅と河津桜。ようやく落ち着いた週末が送れそうです。






 誤認識バイアス:

 採点競技というのはとかく自国よりのバイアスが掛かりやすいのれすぅ。韓国でキム・ヨナちゃんの採点が低すぎるとして再審査を求める署名が100万人を超えたとか。日本でもバンクーバーの時から真央ちゃんの採点が低すぎるという声がありまふ。勝った国だけはこう言う声が上がりませんね。次回冬季五輪の開催国がこんなことやっててエエんかな?ギモン ま、陰謀論つうのが無くならないわけですね。





 


 思い込み:

 選択盲(change blindness)にこんな例がありますた。ミネラルヲーターを選んでいるおばさんがいます。その人がレジに並んでいるときにインタビュアーが近づいて話しかけます。「すみませんが、ちょっと調査にご協力願えますか?」(その間にアシスタントが後ろから籠の中のミネラルヲーターを別のブランドに入れ替えてしまいます。)「はいいいですよ。」と答えたおばさんは、買ったミネラルヲーターのブランドを聞かれると、籠の中を見てその別のブランドを選んだ理由を得々と述べるとか。9割がた間違いに気が付きません。起きるはずの無いことは受け入れず、結果を正当化する性質がヒトにはあるんですぅ。そう、キミにもボクにも。







 歴史は学問か?

 この世界にはイロエロな歴史観があるのは良く知られた事実であーる。往々新しい支配者が過去を否定して新しい歴史を創造する。例えば、古事記と日本書記の記述にも仏教の位置づけなどに大きな違いが見られる。捏造や抹消とまではいかねども、誇張や過小評価などで価値観を微妙にシフトする現象はごく普通に見られます。

  それに例え恣意的では無いとしても、既存の情報により、過去を体系づけて合理的に説明する作業が歴史ですから、その情報の真偽や新たに発見された資料や発掘物によって歴史は簡単に変わります。ある時代の一つの解釈が歴史だと思えば、歴史修正主義という言葉そのものがナンセンスだと言へるでせう。

 すかすだすな、あるグループの主張する歴史観そのものが、彼らの現状認識や思想信条を明晰に物語っていると言うのもまた事実ですぅ。つまり思想信条の闘技場、それが歴史というフィールドなのれすね。どもども。










 〜のようなもの?拳銃:

 最近のニュースは現象学的に先入見を避けているように見える。「車内からは拳銃のようなものが発見された」と。「〜のようなもの」とは一体何なのであろうか。拳銃のような形をしたチョコレーか、はたまた3Dプリンターで作ったおもちゃかは、実弾を発射できるという本質が分かるまでは「〜のようなもの」に留まるべきである。喫茶店で茶色い液体を飲んでいるが、あれは「コーヒーのようなもの」であるのか?そう、それを飲んで味を確かめるまでは「コーヒーだ!」とは言えないのであーる。まことに現象学とは面倒くさいものなのであーる。タハ