11月27日(水)歩いてたら、さして重要ではない自覚に襲われた日 レッリッビー♪

 晴れ。10℃〜16℃。少し白っぽい空にイチョウの黄色い葉。早稲田通りを九段まで歩く。飯田橋東口方面は焼き鳥やもつ鍋が多いですぅ。何でだろ?






 自覚:宗教か哲学か

 例えば、「つまらん我欲にまみれた自己本位な自分を捨てて真の実在と一体化する!」てなのが宗教や哲学の本質だとする。それで真の実在とは何か?創造神が顕現化した超越神、全ての存在の元であり何処にでも宿っている内在神、偽我を削ぎ落した究極の無自己、などイロエロと考えれます。偽我を脱落させるには神にすべてをゆだねるってのが早道だす。でも全知全能の神が具体的な姿をしてるってことは既に有限であって無限万能ではありえなーい!ってな疑問を差し挟む猪口才な漏れにはプラシーボ効果も役には立たない。ではどーするか?全ての欲を拭い去って自我を無に出来たなら自己の底には真の自分がいるんだと自覚するしかねーんですぅ。ハテサテ


 脳科学における自己の追求ってのも少しは援用でけるのかも知れません。例えば多重人格とか催眠状態とか錯視錯覚とか浮遊体験とか自己溶け出し現象とか、ほんとは自己ってもともと不定型なもんだっちゅう自覚など。ヘロヘロ


 はからい(小賢しい作為、恣意的な考え、不自然な行いなど)を無くして無為自然に振るまうって老荘思想の核心ですが、レット イット ビー♪ってそんな精神なのかな?ねえ、ポール?





 劣化の法則:

 結局、個人も組織も保身に入ると劣化するんだろうな。青雲の志、坂の上の雲、の頃は外部に目が向いてしゃかりきに努力する。それで功成り組織も大きくなると保身に入りまふ。一転、目は内部に転じ利己的な腐敗が生じるんす。極めてシンプルかつ普遍的な構図でがんす。 







 依怙地:

 毎月最後の水曜日はマンソンの理事会なんすが、一括受電で電気料金を下げようってプロジェクトが最後の一人の抵抗で膠着状態。北風か太陽か?だんだん北風派が多くなってきました。どないしょ?

 正月の門松は7マソ円も掛かるから廃止しようってな提案がありまひた。全部止めるのもなんだから2セッツあるのを1セットに縮減しようよっつう妥協案が出ました。しかしここで国士が発言し、日本の神聖なる風習を削減してハロウィンやクリスマスに金を掛けるなど承服できーん!と大声で怒鳴ったので結局、大きな奴を2セッツ頼むことになりまひた。地域社会では怒鳴った方が勝ちなのか?タハハ

 この国士さんは最初の議題では北風派なんすよ。共同体重視な人に多いですね。個人主義者はそんなに熱くなりまへん。