曇り。昼間も15℃に届かずコートがないと肌寒い。夕刻少しぱらぱら。
三田でパーチーのあと川崎へ。パーチー連荘。その後友人と駅地下で飲む。今日もドランケンシュタイン。この教授は画像処理なんかが専門なんすが、カオスとかファジーとかの非線形理論にも詳しい。曰く、「ファジー制御とは理由が分からん時はジっと動かないことなんだよ。徒に動き過ぎると災厄を招きやすいんだ。」だと。そう言へば生物的な本能として危機が迫るとフリーズすることは虫から哺乳類まで普遍的であーる。ファジー論理って進化の過程で固定された生存戦略の一つなのかな?なんて感慨しますた。
でもね、災害時は早く動いた方が助かる確率が高いっつうデータもありまふから、フリーズする方が必ずしもイイとは限りまへん。例えばソウルの地下鉄火災で被害者が大勢出たのは「正常化の偏見」ってやつです。つまり、異常事態が生じても今は正常なんだっ!決して異常ではないんだっ!と思い込みたくなる性向が人間にはあって、これが避難を遅らせたりするんす。何事も一つの基準では割り切れまへん。この辺りのバランスがないと人生は薄っぺらくなるでせう。
そうだ今思い出したが三田の方で会ったやつが「なぜ無いんじゃなくて、在るんだ?と言ふ疑問が取り付いて離れない」とかガイキチなことをのたもうた。つまり、ビッグバンで宇宙が誕生しなくたって、宇宙なんか無いままでもイイのに?つう疑問。こういうのをあしらうのにシッダルタは「無記の教え」で分からんことを考えても無意味だと仰ったし、カントは人が経験し認識でけないような事を考えるのは無駄だと超越的な純粋理性を批判していまふ。
けふは図らずも哲学的な一日ではありました。どもども。
ちょっつメタに観察して見たら、漏れって「変な奴ホイホイ」なところがあると思いませんか?いやこのブログの近辺に言及してるわけではあーりまへんが。タハハ
さらに酔ったトバッチリで言うんですが、漏れが誰にも負けないと自負するものはナンダ?アホにもめげず風にもめげず、ズーっと維持してるもんは好奇心だけなんすね。これには自身で自信がありまふ。だから読めもせず積読になってる本が山のようにあるんだっ!まるでアリ塚のように方々に林立している山は、わだすの好奇心の顕在化。これだけは諸君には負けんぞよ。ゾヨゾヨ
コテッ