11月6日(水)般若とは知恵のことなり

 秋晴れ。11℃〜20℃と朝晩は気温低下。ムクドリの大群が空を覆うを久しぶりにハケーン!。

 ムクドリって春夏の繁殖期は番で行動しますが、冬が近づくと群れになって行動するのれすぅ。田舎から江戸見物に来た人はムクドリと揶揄されましたが、海外旅行の農協の人もスターリンとかゆわれたのかな?農村では虫を大量に食べるから益鳥とされたが、都会では糞害で害鳥とされとりもす。善悪とは対象それ自体の属性ではなくして、人の心の動き方で決まると。(スピノザ倫理学より)




 サムポ:ふるさと

 
 神田川江戸川橋上流に新江戸川公園つうのがありまふ。椿山荘のすぐお隣。細川越中守の下屋敷にして目白台の段丘を利用した名園。ここに目白方面から進出せり。はや紅葉はじまりていと美しかりけり。すぐ脇の胸突き坂を逆に下りたりければ、こけそうな程急坂なり。タハ

 この辺りは井の頭および善福寺からの流れを落合にて合わせた清流にしてそれをダム(関口)にて押し留めて江戸市中に配水せし要所なり。水道町と言ふ名称は未だに残りて昔を忍ぶれば、この辺り一帯は白鳥大池と言ふ湖にて、江戸初期に埋め立てられ早稲田になりたり。

 神田川護岸工事に従事した若き芭蕉もこの辺りに住して、今も関口芭蕉庵が残れり、このあと芭蕉神田川を下りて柳橋から両国に至り森下に庵を定めたり。どこを歩いても由緒あるのは江戸初期からの開発地ゆえなりしか?ああ、兎追いし彼の山、小鮒とりし彼の川、が拙にとってはこの辺りなのれすぅ♪






 突発性放言癖:

 猫に小判、豚に真珠、坊主に簪(かんざし)、宦官にコンドーム、とか下品なことをゆって見たくなったっ! しかし自分は使えなくても相手に上げればイインだから、これも意味はあるんだぁーっ!何事も頭から否定してはなりませぬ。






 機械論的自然観:揺り戻し

 デカルトだってアフォぢゃないんすから、思考にとって身体は必須であるとは分かってたんすよ。でも一応論理的には否定して見せないと論は先に進みません。それで要素還元論にて世界を数学・物理学で扱えるように、物を形と大きさと運動とに単純化してみたんす。そしたら世界のすべてはデカルト座標で表現可能となり、過去から未来までぜんぶ計算可能になると。これが機械論的な自然観だすぅ。

 そこで置き去りにされたのが、色や音や香りなどの感性由来のもの。こころなんかも置き去りにされたのかな?ですから未だに精神とか魂とかは科学の対象には成り得ません。しかしそれが実在するのは確かなんだよなぁ。我ら生物は単なる物体ぢゃないんすからねィ。

 そこで見直されるのが、心身一如の一元論! 思惟と実践との合一! ってのは即ち宗教かよと。西欧哲学もここに至ってスピノザの「自然 即 神」の東洋的な汎神論に向かうのか?ああ、富士山も屋久杉もみんな神であーる。ひとひらの落ち葉も神であーる。わだすの鼻糞も神であーる。つう自然に内在した内在神は、お空の上高くしろ示す超越神よりか日本人には親密ですよねっ。「この世の諸相を真に学びたれば、不断最高の喜びを永遠に享受でけるであろう♪(スピノザ)」








 報道:食品表示

 マスメディアの苛め体質全開とか。そもそもの遠因は中国、韓国、米国、濠太剌利、加奈陀などの食品を貶める政策であーる。この各国に滞在した経験によれば、その害毒にたいした差はあーりまへん。それを針小棒大に騒ぎ立て、日本製品の価値を数倍に維持したのはメディアの手柄。ぼくが海外にいたときは、「旨い美味い」ってなんでも食べてたけどね。

 その成功例を民間が見習うのは理の当然!「川場村の山田さんが作った大根のシッポ」の表示だけでシッポが2倍の値段で売れるんだど!こりは実体では無くして、思い込みでものごとが進む市場主義の通例。だいいち中国の百元札と日本の千円札を比べてみれ?その見栄え品質には十倍の差はあれども、同じような価値であるのは、すべて思い込み(信用度?)なのれすねぇ。

 すなわち、騙して儲けるっつうのが市場主義の至上の本質なのれすねィ。(イクセプト:リピーター・ビジネス)