10月11日(金) 永遠は自己回帰性によりて解消され得る。か?

 朝のうち曇り、のち快晴。22℃〜30℃。南風強く丹沢、富士山が丸見え。10月中旬に真夏日になるのは極めて珍しいとか。ジットリ  金木犀の香り強し





 とても難しい問いとは:
 
 「自分とは何かということは、(問われなければ)誰でも知っている。しかし、あらためて自分とは何かと問われると、誰もそれにまともに答えることができない。」(米国の心理学者・哲学者ウィリアム・ジェームズ)
 こふいふ自明(当りまえ)の文言はイロエロとありまふねィ。「ある(存在)」とか、「広がり(空間)」とか、「移ろい(時間)」とか。常識を突き詰めると分からなくなることをゲシュタルト崩壊と申しまふ。すかす、「分かりきったものを問う」などと言ふことはなかなかでけないことでして、「問いについて問う」とか「哲学を哲学する」とか「芸術を芸術する」というようなリカーシブなループにへえってしめえやす。いわゆる一つの「無知の知」の目覚めですかねぇ?







 芸術とは:

 前にちと考察したように、これも極めてむずかすい問いです。哲学と同様に、芸術にも解答や完成つうものが在りえないからです。もしも完成があったなら、そこでお終いっつう自己矛盾。哲学における「概念」とは掴まれたもの、把握されたもの、理解されたもので、それが確立した途端に固まって動きを無くしまふ。芸術における「表現」とは自らを表に現わしたもので、それを表現した途端に固まって動きを無くしまふ。

 しかし芸術は「かって芸術でなかったものが芸術になったり、かって日用品だったものが文脈の違いで芸術になったり」と質的に変化するものなんす。(過って芸術と言われてたものが、文脈シフトによりてガラクタになる例も勿論ありまふよ。) 芸術は、いわゆる一つの時代や自分の感性の変化で動き回る生き物ですゥ。剰(あまつさ)え、それ(芸術)は見る者に開かれている例さえありまふ。ラウシェンバーグの「白い絵」や、ジョン・ケージの「4分33秒」などがそれですね。作者は自分の全ての権利を放棄して、解釈を鑑賞者に委ねまふ。マルセル・デュシャンの「泉」などは日常から切り離された日用品の、有用性を無化したところから始まる芸術といへるでせう!

 つまり君が驚き、自己をそこに投影し、存在の神秘を開示し、君に見えていなかったものを見えるようにするすべての開かれたものが芸術なのだあああああ!


 んじゃ、何でも有り?・・・ん〜、そうとも言へるし、そうでは無いとも言へまふ。少なくとも社会にその場所を確保するには、みんなの共感はいるんでしょうねィ。ダハッ でも、おらは自分一人の芸術はアリだっ!とおもうてまふ。だって、すべてに開かれていない芸術なんてゲージュツとも言えませんよね?ども。









 ふとした感想:幼児

 幼児って純粋で邪気が無く自然そのもので可愛いなぁ♪
 でも裏腹に、自分のことしか考えない我が儘者なんですねィ。住んでる世界が狭杉!子供みたいな人って時々見かけますけど、まだ他人に悪さをしようって気が無いだけ益しなのかなぁ。疲れるゥ〜