8月22日(木)お金を貯めるか、信用を溜めるか。永続性についての寸考。

 
 うす曇り、午後一時薄晴れ。25℃〜32℃。依然として蒸し暑し。
 久しぶりに八重洲地下街を徘徊。店がたくさん有り過ぎて、待ち合わせの店が分からんようになってしもうた。タハハ






 お金は手段か目的か:江戸時代に学ぼう。

 昔は金儲けが上手くても人格が伴わない金持ちを「成金」とかいって馬鹿にしました。芸術家や作家、いや事業家でさえ、貧乏自慢を良くしていました。土光さんとか五木寛之とかタモリとか。ようするにお金はあった方がエエですが、単なる人生の手段ですから無くても構わない、つうスタンスが社会の主流でしたねぇ。だからあぶく銭を掴んだ奴も、どこか恥ずかしげでしたよ。

 それがいつの頃からか、ユダヤの商人的(いや小説の話しだけど)な価値観が侵食してきて「勝ち組・負け組」ってな洗脳が行われました。まさに金融資本主義が日本を席巻する前夜でしたかねぇ。実体経済の何十倍ものレバレッジ金融商品が飛び交い、マネーに狂奔する金融資本主義はケケ中さんあたりから日本に持ち込まれますただ。もうこうなると産業社会の血液どころか、競馬の大穴馬券みたいで、壮大な賭け事が経済を混乱に陥れました。先見性をもって今後伸びる産業に投資するどころか、目先の金融商品ゲームに興じていたわけです。

 でも、ホモ・ルーデンス(遊び人間)たるのが人類だとすればゲームこそ人生の目的なーり!といへるのかな?一球入魂ならぬ一金入魂とか。プ

 とは言え単なるお金の利潤に狂奔するよりか、もっと永続する価値にも心を用いる方が人生の幅が広がるような気がします。誠意とか感謝とか誇りとか。むかしの人は言いますた、銭は無くとも「信用は元手なーり」と。人を騙したり利用したりこき使って儲けても、それはヒット&アウェー。信用を築くのは生易しいことではありませんが、誠意を以ってこれを築けば、リピーターによって事業は継続します。これが寛永八年創業の煎餅屋の知恵ですか。カハハハ
 









 今日の一言:高校野球

 「攻撃的守備」、これで優勝を掴み取りました。バントへの三塁手の猛ダッシュとか、キャッチャーフライをベンチに駆け込みそうになりながら捕球するとか。投手はともすると孤立しがちですが、これで如何に助けられたか。結果が示してまする。どもども。