8月10日(土)暑杉て寝床でもがき苦しむ脳メルト

 もっはよー!猛暑晴れの悪寒。昨夜はず〜っと30℃超えで、起きてはうつつ寝ては覚めで寝れんかった。夜中の体力消耗は激しく辛いですぅ〜〜〜  さてゴーヤに水を遣ってまたネヨ。




 あじじじじい〜、なんか1.5kgは減量したような希ガス。37℃の熱風の中で、表はまさにサウナ風呂状態れすぅ〜〜〜





 多様性はイデオロジーか:反対できないふいんき


 生態系の多様性から文化の多様性、言語、慣習、性、家族、都市など様々な多様性はロバストネス(強靭さ)の象徴として礼賛されとりもす。こふいふ誰も反対でけない正論を、人はイデオロジーと称するっ!

 人が世の中を見る仕方は、育ちや言語、風習、環境などの文化に依存するとか言われてます。そしてこれらは全て元々多様なのれすね。我々はこれらの多様な文化(価値観?)を通して世界を解釈しています。他者関係にしてからが、わたしは自分自身が磨いたレンズを通して彼をみるし、彼は彼自身が磨いたレンズを通してわたしを見ます。このばやいレンズとは自分が世界を見る為の「解釈図式」のことですぅ。

 それでは異なる文化に属する人々は異なる世界に住んでいるんでしょうか?永遠に世界は融合できないのでしょうか?統一的な神の視座ってえのがあれば統一でけるのかも知れません。でもそんなのは無いよね?あーりまへん。いくら相手を理解しようと思っても、そりは相手を自分の視野に引き寄せるだけ。だから多様性とは永遠の蛸壺暮らし。認識論的アパルトヘイト。(わしだわしだわしが清一だあ)

 他者関係とはそれを媒介する共通因子の不在を言ふ。(レビナス)

 でわ人格の多様性とは分裂症なのか?これは「元々人格の統一体などありはしないのだ」と言ふのが正しい。絶えず消え、絶えず発生し、絶えず変化する動的なバランスこそが人格の本質と言へるでせう。そこにおいて初めて他者と混じり合う多重人格が生まれるのだす。(多様性イデオロジーからの脱却に向けて)






 おおおーっ!けふは東京湾大華火の日であったぞよ。でも蒙気でけぶる東京タワーやツカイスリーを見ると、果たして綺麗な打ち上げができるのであろうか。はなはだ疑問であーる・・・・・










 もわったっ♪ 極めて綺麗であった。 また来年見れるとイイね・・・・・・・・