6月16日(日)世界はいつか丸ごとコンピュータに入れれるのか?

 午前中は雨残るも、午後から晴れ間。22℃〜25℃。湿度90%前後で蒸し暑し。

 このところ飲み続けで胃の調子が悪い。特に逆流性食道炎の疑いが強く、早朝胸が苦しくて起きてしまうといふ自暴自棄、じゃなくって自業自得。あっと八重の桜が始まってしもた。しばしごめんなすって。




 この世界はコンピューターで記述できんのか?つう設問は昔からあってですねえ、つまり1と0とでこの世界を表現でけるのかっ?つうことでやんすよ。今のところテキスト表現ばかりではなく、音声、静止画、動画までかなーり広く表現でけるので、ひょとして全てはコンピュータで記述でけるのかな?なんて気にもなりまふ。ヒトの五感で言へば、後は触覚、味覚、嗅覚くらいかな?いずれセンサーとアクティベーターが精密になれば、それらも表現可能になるかもね。

 今では人間でさえでけなかったこと、すなわち巨大なデータを分析して、それを有効に活用するラージデータアナリシスが全ての分野で拡がりつつありまふ。チェスや詰将棋ばかりではなくプロの棋士との対戦に勝利したり、詩や小説を作ってみたりと、けっこう人間にしかでけない領域にまで進出してまふねィ。一部の領域では既にチューリング・テストに合格しているのかも。

 一方、でけそででけなかったのが機械翻訳。ある特定の専門分野では比較的早くから活用されてましたが、文学作品などには端から役に立ちません。大量の例文を検索させることはでけるんですが、辞書が精緻になるほど、文法を細かく覚え込ませるほど、イロエロな訳文が出てきて収集がつかなくなるんすよ。剰(あまつさ)え、文化・伝統の違いで対応する概念自体がなかったり、言語の表現力が不足したりで、単純な変換では手も足もでないケースが多いことが分かりまひただ。

 また幾らラージデータの処理が得意とは言っても、コンピュータに出来ることには限りがありまふ。まず計算方法が分からなければ(アルゴリズムがなければ)計算でけないのは理の当然。人気投票的な株価の予測などは当分でけないでしょう。また理論はあってもデータがなければ計算がでけないのも理の当然。地震予測などは全くデータが不足しておりまふ。

 最近の進展は、網羅的な組み合わせ爆発で計算不可能な分野を、大量の最適手順を組み合わせてケースを減少させることで突破できたことです。ま、大量記憶を活用してカンを働かせたと。これは将棋のように如何に大量の棋譜を有効に活用でけるのかが肝になりまふ。有限手順の数学定理の証明なども少しづつでけるようになりまひた(4色問題など)。

 それでもまだまだコンピュータがでけないことは、新しい定理の発見とか創造などですねィ。無駄に変な定理をたくさん作ることはでけるかもしれまへん。しかし真に意味のある有用な数学的定理は、人の価値観が入りますからコンピュータには判断不能ってところですかねぇ。そういう意味からはコンピュータとヒトとのハイブリッドという手は有効ではないのかな?ある程度、候補を絞って、最後の判断は人間が行うとか。機械認識やゲームなどに活用でけるかもね。


 とは言え、曖昧なものを曖昧なままで受け入れ、矛盾した事柄をそのまま統合してしまうような判断は機械には永遠に無理でしょ!と言ふ気にはなりまおす。ごく簡単な例を挙げれば、我らが現実に生活しているこの世界をありのままに描写しようとしても、実数や無理数のような無限小数はコンピュータのデジタルでは永遠に表現しえないのですよ。これがアナログな感性が必要な所以ですぅ。ジャン