6月15日(土)酔生夢死

 曇りがちな晴れ。24℃〜29℃と真夏日。蒸し暑し。ヘロヘロ~


 八重洲ブックセンターにて待ち合わせ、八重洲地下街にて飲む旧友2人、また楽しからずや。野望も恥も共有している奴らと飲むのは、構えなくてイイよね。でも羽目を外しがち。タハハ 教授はおせーることの難しさをゆってたが、それは理念先行の弊害。どんなアフォなことをゆってても、その人の情熱が感じれればみんなついてゆくさ。一番ダメなのは、つまらなそうに授業をする頭のイイ教授。自動車業界で役員やってた奴は、今でも目をキラキラさせて夢を語っているのと対称的。飢え死にしない範囲でスキなことをやるってえのが吉!トホホ




 意識界と無意識界の区別はどーするのか?意識界は無意識界の10%もないとかいう論も見かけまふ。でもそがいなことは誰も断言できませんよね?なにしろ無意識なんすから。その広大な荒野があるっつうことは、言われてみれば実感できます。

 意識界と無意識界の連絡はどーやっているのか?とか、無意識界をどーやって意識的に顕在化させるのか?とかは、それ自体に矛盾を含んでいますよね。なにしろ意識的にしか書き下ろせないんすから。

 と、極めてくーだらないことを考えていたら、リアリティをどー認識するかの問題に突き当たったです。ヒトは何をリアルと感じ、何をリアルと感じないのか?夢と現実の区別をつけることがでけるのかっ?
 「邯鄲一炊の夢」とか映画「マトリックス」とか。脳内現実とリアル現実をどー区別でけるのか?これはむずかすい課題ですぅ。今ここのこの「現実」と夜見る「夢」をテレコにしたって何の変わりもごぜーやせん、って言説にはかなーり説得力がありまふ。

 んで、9割以上の無意識界の実力を概観するに、何が証拠にあたるのか?これを思いついたのが八重洲の地下街。生ビールを3杯飲んだところで思い出した。どんなに尿意があったとて、大人は決して寝小便はいたしまへん。これがココロの奥底に刻印されたリアルな無意識ではアルマイト?ドモドモ