10月10日(日)ディジタルの日。自由意志とは。

 曇りときどき細雨、昼頃から晴れ。19.7℃~26.7℃、67%。8500歩。

 3連休だと思てたらカレンダーがすべて修正前のものだった。8月は覚えていたのですが2か月経ったら忘れてた。ザンネン

 1と0しかないから今日(10月10日)と明日(10月11日)はディジタルの日らすいど。なんかおざなり感満載なんすが。

 

 自由意志とは:

 人は皆、自由な意思があると思て生きてますが、ある局面では自由意志は無いという所見も見られます。普通(普通ってなんだ?)自由意志とは「なにをしようか自分で考えて、自覚的、意識的に決断できること」とか定義されます。

 神が生活の中にまだ生きていた中世では「この世界のすべては神のご意思なのだから、人間に自由意志などないのだ」っちゅう見解がメジャーでした。近代科学主義で神がしむと、「人間は本来自由なんだい」つう意見が強くなりまひた。

 すかす計測的な脳科学の進展につれ、リベットさんが変な実験をして「実は人間が意志的に行動する2秒くらい前から準備電位つうのは発生してるから、自分の自由な意思で行動しているとは言えない」とか主張しました。イロエロな学者が追試してこの事実が確かめられマスタ。

 これは無意識と意識の境界問題とか言われて、実は無意識の世界でイロエロなことがすでに準備されているという傍証になります。脳は無意識下でいろんなことを並行処理しているから、それらを纏めて行動に移す前に統合作用が必要なんすね。では、それらの無意識を賦活、起動するものは何なのか?やはしこれは意識からの要請や「希望」や「夢」のようなものが媒介しているのではないのか?つうように、無意識と意識は完全に独立ではなく、連動していると思えば、総体として自由意志はあるといえるのかも。

 でも、自覚的ではない行動に責任をとれるのかっつうと、これは難すい問題でしょうね。それと直感的な行動ではなくして、十分に論理的な考察を経て将来を意識的に判断し選択するのは自由意志の範疇としてもいいのかな?そこまで無意識下の判断と言われれば、意識の立つ瀬はあーりまへん。それでも無意識が意識の論理的な推論に影響を与えていないとは言えません。意識の後付けの再構成というのがイロエロな実験で確かめられてマスカラ。また無意識下の誤った行動を、意識上らせて反省しなければ、それはいつまで経っても直りません。

 無意識を意識的な行動や思考により育てるという試みもあります。理想の自分を想定したり、「夢」を持ったりすることは無意識を方向付けすることになるでしょう。すなわち無意識が意識に影響し、意識が無意識を育てるという双方向の関係を強化することが、全人的な成長を促すと言えるんですぅ。

 なにしろ無意識つうのは潜在的なものですから、それを研究するのはとても難しいんですね。錯視錯覚とか無意識的な行動の観測により、ごく僅かにうかがい知れるだけなんすから。ジャンジャン