7月20日(日)意識の地動説

 概ね曇り。22℃〜29℃。もくもく雲の隙間からときおり陽が射すものの、夜に入って雷雨。ツカイスリーは良く見えてたから湿気は少ないのかも。





 幻影の意識:

                        

 最近の認知神経科学では、急速に発展した計測機器による精密な実験により、「“意識”は後付けの合理化ストーリーである。」とする説が有力になりつつあります。無意識下で多重並列処理された脳活動全体を統合し、合理的な解釈を与えているのが”意識“であると。一つの整合した物語を形作るのが、脳の前頭前野の働きです。

 この知見は、脳の色々な部位を非侵襲的に観測可能な、fMRI(磁気共鳴機能画像法),PET(ポジトロン断層法),EEG(脳波計)などの機器を色々な心理実験下で使用して得られたものです。

 例えば、有名な「リベットの実験」では自由意思の存在が疑問に晒されました。この実験では被験者に、任意の瞬間に手首を曲げてもらう。そしてそれを意思した時刻と、脳内に運動準備電位が発した時刻とを比べると意思が常に0.35秒遅れていたのである。つまり意思は常に運動に関する脳内電位から遅れて発現すると。これは色々な実験で再現されています。さらに補強実験によれば、左右どちらの手首を曲げるかは7秒も前に無意識で決まっているとか。また磁気で外部から右脳を刺激すると、普段は任意で60%も右手首を曲げる右利きのひとが、任意で80%も左手首を曲げるようになると。しかも本人は全く自由意思で手首を曲げていると固く信じているのですね。

 また例えば、「神谷/下條の視覚実験」では被験者の後頭葉視覚野を強い磁気パルスで麻痺させて、一瞬の人工盲点を発生させる。その期間は0.2秒。その前は赤いスクリーンを見せ、その後は緑のスクリーンを見せる。さて、0.2秒間発生させた丸い人工盲点の中に被験者はどのような色を見たでしょうか?赤?白?黒?それとも緑?・・・答えはなんとその時点では未来の緑色だったんです。これは意識が少し先の未来から時間調整して、少し過去に戻るように調整していると考えられます。意識の「今」はズレているんです。意識の今は、実は「現実の今」ではありません。

 自分でもできるもっと簡単な例では、「鏡の中の自分の視線」実験があります。これは、鏡の中の自分の左目を見ます。ある瞬間に視線を右の目に移動します。しかしこのとき、自分の視線が動いているところは見えません。一瞬で移動しているように思えます。(すぐ隣で同じ動作をしている他人の視線は、移動中をはっきり確認できるのに。)これはどう解釈できるのか?これも意識の悪戯だと解釈されます。すなわち、視線が移動している最中の前半は過去の左目に固定され、後半は未来の右目に固定するように意識が操作していると。

 このように意識は空間認識を操作する錯視・錯覚だけでなく時間間隔さえも操作して幻影をみせていることが分かります。(神田小川町に錯覚美術館というのがありますから、興味がお有りなら是非一度訪れることをお勧めします。意識の歪が実感できるでしょう。)


 このように、自由意思と言うのは脳内で作られた後付けの幻想である!という知見が形作られてきましたが、勿論解釈は色々できます。意識は天から降りてきたイデアが肉体に宿ったのだっ!という解釈も、米国人の半数以上が進化論を信じていないのと同様、根強く残っているのも事実です。それが人類の多様性という利点の一つです。科学は幸福に取って万能ではないのです。

 しかし例え幻想ではあっても、この脳の統合作用が失われるとバラバラな多重並列処理を纏める脳内の小人がいなくなり、気が狂ってしまいますから生きていく上で有用かつ必須の作用でもあります。また勿論、意識と無意識は相互に作用し、お互いに影響し合いながら全人格を構成しますから、意思的に行動すること自体が無意識下に蓄積されていくこともまた確かでしょう。


 しかし幻影とは言へ、その精緻さはリアルに負けないものであると付記しておこう。なにしろ一人の脳内で全宇宙の歴史を造ってしまうくらいですからねえ。幻影を馬鹿にしてはなりません。その幻影こそが私そのものなんすから。ジャン






 久しぶりにスクリーンキーボードでちょと長いエントリを書いて三田。習うより慣れろ???ダハッ