7月19日(土)個人史のイフを辿って、落ち込んだ日

 曇りときおり弱雨ポツポツ。23℃〜26℃、最低湿度75%。

 わだすが落車したときの右膝の傷が未だにジュクジュクしてついに右足付け根のリンパ節まで痛くなった。ちゃんと皮膚科の医者に掛かってるのだが、行くたびに後1週間で治りますっ!と自信をもって言うもんだから病院に行く機会を失してもうた。来週まで治らなかったら大病院に行って見ようかな。少し不安なり。






 ifとは:遡って検証不可能な一つの仮説であーる

 歴史にIfはなーい!とかほざく野郎はおりまするが、それは過去を必然と見る習性に毒されているから。もともと人間の心理としては、過去は必然、未来は偶然、ちょうど境の現在は偶有性(必然と偶然が入り混じってる状態)って傾向があるんだすぅ。過去も、もっと過去から見れば未来だったんだから、どー転んだって良かった偶然の積み重ねと観ることも可能だすぅ。

 ですから歴史のifを考えることは、未来を予測する上での知的可能性を拡げると言へるだすぅ。なにも無理して考えに箍(たが)を填(は)める必要はごじゃりまへん!つうことで、歴史上のイロエロな時点で「あーすればこーなった、こうすればあーなった」とシミュレーションすることはとても有意義なことなんすねィ♪


 但し、その時点、その時代の外的制約を外してはなりまへん。外して良いのは恣意的なる人間の性向。もしあの時信長の機嫌が悪くなければ?とか、もしあの時晋三さんがピーピーでなかったら?とか、どーでもイイような事象が後々の結果に大きな影響を及ぼすようなことでやんすよ。これをカオスと呼ぶか、はたまたフィクションと呼ぶかは諸君の理系/文系性向の違いだけで、実質はどーでもエエことなんじゃい!ダハッ


 但し「あの時こーしてればなあ」とか「あんなことを言わなければ・・・」とかの個人的なifはあんましシミュレーションしない方が、良さげですねえ。ショボーン