5月21日(火)一応覚えているだけは備忘しとこ

 うす曇りのち薄晴れ。気温20℃〜25℃と暖か。ハーブ類が繁茂してきた。最近肉料理多し。




 文京区シビックホールにて「9条どーでしょー」のライブトークを聞く。演者は内田、小田嶋、町田、平川っつう例のメンバー。最近元気のないウルトラライトを叩くイベント。って案内のあったときはそーは思っていなかったんですが、猪瀬、橋下、西村と続いた放言シリーズへの反応。

 ま、法科出の町田智浩先生が一番活躍してたかなぁ。マグナカルタ(1215年)以来「戦争を勝手に決めるなっ!」てのが憲法の骨子で、それに人権擁護が付け加わったと。米独の憲法改正は多かれど、それは2/3ルールに則って、人権拡大の修正だけであったと。アナクロに、孤立と軽蔑を招いた現憲法を明治に戻す改正など一つも理由はないどと息巻いた。

 ま、今回は同じ論調4人が集まったんですから結論は見えてますたが、それでも幾つかの鋭い指摘はありますた。敗戦の屈辱を受けた日本は当初、面従腹背で捲土重来を図ったが、その内に面従が身体性になりて、面従腹従になってしもたと。これは言へてますねィ。だから今では普通の国家としての自律を果たす為にますます米国の鼻息を伺うと言ふアンビバレンス!もう日本独自じゃ何にも決めれんでしょ?

 それで今回のジミン改憲案では、公共の福祉(民の安寧)がすべて公益および公共の秩序に移し替えられ、まず人がいてその連帯(契約?)から国家が出来る、から国家と言う器の中に国民がいるというそもそも論の入れ替えが入っていると。嫌なら出て行けばイイじゃん!つう論拠だすな。人が居なくても器さえ在ればっつう空虚な論法。

 で、最後の悪口は、「愛国者は自国の悪口ばっかし言う」つうの。人権や平和主義また平等主義や愚民主義が日本をここまで悪くしたと。そんなら自分が出て行けばイイのにねぇ。でも、それを普通の国(戦争が出来る国?)にしたくてガムバッてるのが美しい人々。それでは誰が戦争に行くのかっ?それは少子化の若者ではないでしょ!余っている老人でしょ!(含む石原さん)。つうのが町田氏の論法。

 一理あるけど十理はなーい。ドイツはヒットラーに責任を押し付け、イタリアはムッソリーニに責任を押し付け、フランスはビシーに責任を押し付けて、再軍備を果たしたが、翻って日本は国民全体の総懺悔だけで未だに戦争責任を背負っていまふ。あまつさえ連合軍が押し付けたA級戦犯さえも復活させようとしていまふ。これでいかに独伊仏などのレトリックに勝てようか。国際世論も許すまじっ!つう解説も為されたどっ。

 あとは愚痴っぽい戯言で、マスコミは特ダネ思考から特落ち回避志向になって平均化し、ジャーナリズム精神を毀損しただの、貧乏人のB層が貧乏化政策を支持するのはパンよりか愛国心だとか、おもすろい見解が多かった。

 でも高齢化ってのは世界の趨勢ですからこれだけは確実な未来。如何に性能の良い電動車椅子で突撃でけるのかが、今後の戦闘を左右するんでしょうね?それとも車椅子に爆弾積んで自爆しまふか?徴兵制ならまず老人から。勝っても負けても役に立つ。自分も名誉で役に立つ。まず真っ先に石原さんや麻生さんに散華して戴きましょう!って暴走したるトークショウですた。どもども。


 あ、マスコミの悪口もいっぱいゆってたどっ。特ダネゲッツの積極性では無くって、特落ち恐怖の平等主義はお手手繋いで徒競走の弊害か? またブラサガリ取材の呼称に嬉々として従うは自尊の念の無かりたるか?ぶらさがりとは主人に依存する奴隷の習性、プライドの寸厘も感じれまへん。ぶらさがりを外されれば飯の食い上げ、主人に逆らう記事は掛けまへんどすぅ。とか。

 お見苦しき仕儀はすべて演者たちの心性にて、決してわたしの本意ではごじゃりませぬぅ。と言い訳しつつ本エントリを閉じる也。どもども。