4月2日(火)立ち読みシリーズ、「漂白された社会」

 終日雨。8℃〜12℃と気温の変化少なし。春雨じゃ、濡れて行こう!にはちと強すぎる雨。



 言葉のニュアンス:
 「しめた」と「しまった」の語感は似ていますが、その意味は正反対。自分で閉めたら「よし上手くいったぞ」、自分が関わらずに閉まってしまったら「くっそー失敗した」となりまふか?でもホントは「占めた」と「仕舞った」という漢字らしいんですが語源ははっきりしませんねぇ。



 あってはならないし、なくなりもしないものについて:
 「漂白された社会」(開沼博)つう本を立ち読みしてきた。我々の社会は「あってはならないし、決してなくなりもしないもの」を漂白し続けてきたと。表面的には自由で平和な社会の周縁的な存在を見て見ぬふりをすることを漂白に例えた。その色とは2つのもの、即ち色事・色街などの社会における猥雑さと、色物・色商品などの偏りや際物を指す。それらが脱色され漂白されていくと社会はどーなるのか?社会が単に薄っぺらくなるだけではない。偏りや猥雑さ或いは死や暴力も含んだ周縁的な存在が不可視化されると、人の魂をゆるがす文化や生命力そのものが失われてしまう。しかもそれらは独裁的な権力者や巨大な資本による抑圧によってではなく、自由や平和を希求する人々や豊かさを求める人々のピュアな欲望によって漂白されてしまうのである。多様性なる存在は真っ白な単一性の中に回収され、清く正しく美しい世界が現出する無限増殖。ただし表面的にはですが。ではどうするか?
 本書はその解を提示していない。ただ新たな「旅」の中でしかその答えは見いだせないと。その旅とは、漂泊された社会の裏に隠されたイロエロな色を捜す旅。あってはならないし、なくなりもしないものを知力と体力の続く限り見つめ続ける旅。「見て見ぬふり」のきれいごとにはもううんざり!なんですとおおおおお!ども。



 いや、よほど買おうかとおもたんす。でも今の積読のプレッシャーがそれを押しとどめた。立ち読みレベルにしか読んでいない本が山とあるんす。少し整理がついたら、そのうちに購入しようかとおもた。それともその頃は図書室にも入っているかもねィ。