3月11日(月)黙祷

 晴れ。気温急降下して4℃〜12℃。気温激変の季節なれば諸君もお気を付けくだされたく。


 3月11日がやって参りました。2年経過するも日本は何も変わっていないような気もする。やはし外圧がないと変われない国なのかなぁ。


 当日の思い出:
 そうそうあの日はたしか金曜日で中央大橋を渡って佃島のスーパーでお魚を選んでいる時だった。下を向いていたんですが突然目の前がグラグラして、ああ漏れもとうとう頭脳をやられたかっ、これであっちに逝くのも悪くはねえー!って一瞬覚悟はしたんすが周りの棚からワインボトルがガチャガチャと落ちて床を赤い液体が流れていくのを見たら我に返った。外へ出ると周りのビルから人々がワラワラと出てきて右往左往していまふ。それでみんなにつられて橋の方に行ったら、橋のワイヤーがブルンブルンと震えていますただ。もう肝を潰して、橋の欄干に縋ってひたすら振動が収まるのを祈ってますただ。ああ、こんな時もありき、さぶいさぶい日なりき。遠方のお台場方面を見やれば、もくもくと煙の出を見ゆ。なにがしか災害起こりたりかし。その後はすべてビーテレでの映像にて、大津波を見る。真偽は測りがたし。でも、すごい災厄たりしは想像の内。原爆や都会の大空襲もかくありかしと思えば涙落ちるを留めがたし。天災も人災もかくありければ、人の世のしやわせとは何たるや?偏にわれ思うゆえに我ありとぞのたもう。復興は拙速でいいのか熟慮がいいのかの議論があった。単に地域が元に戻ればいいんではなくして、超高齢化、過疎化の中で社会の根本的な再設計が必要な気もします。