3月18日(日)人生観が変わるスポット

 靄曇り


 お金で分類

・金が沢山ある奴:ヨーロッパの田舎に滞在。
・金が少しあるやつ:スペイン巡礼かアジアの島に滞在。
・金はないが暇のある奴:印度や南アジアでバックパッカー(猿岩石風にスポンサーがつけばグー)。日本ではお遍路つう手もある。
・金も暇もないやつ:地下道や河原から通勤してみるテスト。

 ま、多くの経験者が言うことにゃ、インドが一番インパクトがあるらしい。(ただし漏れは行ってないから効果の程は分からない。)行ってきた奴を観察すると、ケニヤに滞在、バリ島に滞在、スペイン巡礼ってのが多少人生の重荷を軽みに変えれたような希ガス。何はともあれ、自分の日常の枠から外れてまったく違う生き方をしている人々を見るのは為になるでせう。ね? しかし、人生観が変わって、それで良くなるのか悪くなるのかはそれぞれの価値観によりますからわたしの関与するところではなーい。




 痛み2題:

 「私は他人の痛みを感じることができるのか?」という命題と「私は他人の歯に痛みを感じることができるか?」という命題は似ているようで全く違うのである。前者は形而上学的命題であり超越的な困難さをともなうが、後者は経験的な命題でありたまたま私はそう感じないというだけである。この違いに始めて気が付いたウィトゲンシュタインは「歯」を身体全体やわたしと言う自我にまで拡大して、ヴィトゲンシュタイン独我論を展開し、言語のアポリアにまで踏み込んだのでした。ジャン
 実際に脚を無くした人が無い脚に痛みを感じたりしますから、それが他人の脚の位置に感じても不思議はない。ゴムの右手の先をツンツンするのを見ながら、机の下の自分の右手をツンツンされると、そのゴムの右手が自分の右手と感じるのも同じようなものかな?しかしいずれの場合も自分だけが感じているのであって、他人が感じているのではなーい!つうところが押さえ処。かな?






 追記:

 明日では遅いと思うので今日書いておこう。
 昨夜8時ころPCが突然ダウンしてしもた。ちょとネット調べものした後、ビーテレを見てPCに戻ったら画面が真っ黒になっていた。それでいくら電源ボタンを押してもうんともすんともいわないのれすよ。PCの電源ケーブル接触やコンセントの接触を調べてもなんともない。1時間くらいしてからまた電源ボタンを押してもシーンとして起動する予兆も無し。それで諦めて保証書を探したがどこにもない。諦めてまた明日調べようとおもて寝てしもた。で、今日、午前中いっぱいかかって心当たりを全部掘り起こしても保証書は見つからず。そこで昔のディスプレイが壊れたPCを取り出してTVに繋げて動かそうとおもたらこれも動かない。共通するのはACアダプター。良く良く調べたらその箱のところのソケットが緩んでいた。しっかり差しなおしてPCに接続したら立ち上がったといふ12時間のお粗末。あのままサービスにTELしていたら大恥をかくところであった。ともあれまた気を取り直して保証書を探してみよ。ではでは。