9月3日(土)考え方のタイプはやはし気質依存なのかなぁ?


 こんにちは。概ね曇り。台風の影響で不安定な天気。雲の
動きが早い。時折驟雨、時折晴れ間。蒸し暑い。自転車で
走っていると、ねっとりした気団と、爽やかな気団が入り混
っててキモワル。



















 よく数学の証明ではAといふ命題を証明するのに、Aでは
なーい!と仮定して矛盾が生じたから、実はAであーる!と
いふ背理法が使われる。しかしこりは、ものごとは必ずAで
あるか、非Aであるかのどちらかであーる!つう排中律を前
提としている。でもね、世の中にはAであるか非Aであるか
が決定不能な命題は沢山あるのでゴンス。この立場を直感主
義といひまふよ。量子力学シュレディンガーの猫とかゲー
デルの不完全性定理とかどっちとも言えない例ですね。















 常識的には「Aじゃなけりゃ非Aだろ!物事はどっちかに
決まってんだい!」つう立場ですよね。これは実在論といひ
まふ。あるかどーか詳細は実証でけんけど、あるに決まって
んじゃん。プ つうことです。数学的実体でいふと無理数
んか。√2やπとかeとかはその正体はどこまで行っても近似
でしか掴めんけど確かにあるんだよ!と言い張る立場。あと、
他人の心理に関する命題とか未来に関する命題なども真偽が
判別でけない問題を含みまふ。



















 要するに「神の視点」に立てる人(小説家なんか)は実在
論者であり、真と認めるには具体的な証拠・検証を要するつ
うのが反実在論といへまふ。実在論は証拠を超越して真理を
把握できるという主張になりがちであーる。例えば、「一郎
は勇敢であった。」という命題は、一郎がそういう状況に生
涯一度も遭遇しなければ、証拠はなーい。でも「証拠はない
けどどっちか一方は成り立つんだよ。」とあくまで主張する
人は実在論に立つことになり「証拠が無いんだから真でもな
い偽でもないんだ。」とういう立場に立つ人は反実在論にな
る。これは「全ての命題は、真か偽かいずれか一つの値を持
っており、両方を持つことはない」という二値原理を否定す
ることになる。














 これらの議論は時間的な関係を含めれば、より複雑に発
展しまふが、それはまた後日といふことで。変化が無けれ
ば時間は意味を失うし、変化が時間の本質だとすれば、リ
ズムといふ生命原理も時間に帰結するのやもしれまへんな。















チクタクチクタク、ポーン









 




 日記を書きながら、ウサイン・ボルトの200mと
なでしこサッカーを見てたら、極めて抽象的なエントリ
になってもうた。メンゴ