2月10日(日)相対主義に正解はあるのかっ!

 晴れ。2℃〜10℃。風もなく、昼間は暖かい。今日は旧暦のお正月。朔。大潮。そこら辺を6kmばかり散策。


 ニュースを聞いていたら「4人の男性が5人逮捕された1連の2件で、1人の容疑者が逮捕されました。この男性も容疑を避妊しています。」なんだか数字が飛び交っていて良くワカメ。街頭監視カメラが活躍したもよう。都会の検挙率は監視カメラで上がったが、相対的な捜査力・推理力は衰えたようで監視カメラのない田舎の迷宮は増加中。究極の監視社会は生まれた時から発信機が埋め込まれ何時でも何処でも誰でも所在と行動を把握できるSF社会でしょうねぇ。技術的には今でも可能になりました。全世界のツウィートを全部溜め込めるくらいにITは巨大化してますからねぇ。タハ


 相対主義に真理はあるのか:
 此の世に正解はない!と言ってても、局部的(あるとき、ある場所)な正解に近いものは勿論ありえまふ。だから正解を求めても無駄だなどとは決して言いません。しかしその正解が永遠普遍な真理であるとは言えないだけです。時代や環境、文化や立場ですぐに変わり得る正解だということが、頭の片隅にでも入っていれば、今ここの正解を追い求めてもけっこうです。場当たり的な真理?ハイハイ




 最近、キタロー・ニシダのご託宣が少し分かってきたような希ガス。「自即他、他即自」とか「一即多、多即一」というのは自分というのが溶け出したら世界と一体化してしまうと解釈できるのかな?こういうのは脳科学的にはありうるし、禅の奥底でも体験でけるらしいんだ。でも凡人は、しむ直前には誰でも初めて体得できるらしいから(臨死体験)、そこで仏になれるんでしょうねぇ。自分といふ観念そのものが、そもそも作りものであるとか。そー言えば単細胞生物は分裂していくだけで増えて行き、自分というものはないような。ドヨ~ン