1月22日(火)悪逆非道、不条理、理非曲直、曲学阿世ふと頭をよぎった言葉の流れ

 午前中寒雨(4℃弱)、午後からうす晴れ(8℃前後)と2段階の温度。


 普段の生活を一生懸命に生きている人々は、すべてに関心が行き届くということはありません。でも正義な人は世界や日本の問題点を鋭く指摘して、そういうことに関心のない庶民を愚民と馬鹿にします。庶民は「そりゃーおめーが暇すぎるんだろっ!」と怒ったりもしません。ですからビーテレや新聞などの論調に頼り切ってるのをイイことに、世論誘導が行われてしまうんすね。これはもう庶民の所為ではなくって、意図的な誘導者がミンス主義を蔑ろにしてるんだろ!とか思いますです。こういう庶民だって一旦身の回りに事が起こり、そのことを真剣に考えるように関心や志向が向けられれば立派な見識を示します。拉致とか公害とか原発とかの被害者の高い見識を見よ。元々人間の才能は(発揮できる方向の違いは多少あれど)そんなに違いは無いのです。アームチェアー評論家は努々衆愚などと言ふ勿れ。海外の前線で仕事をしている人たちは、日本のことが大好きだし現地の国も現地の人々も大好きなんだ。滂沱瞑目。
 このしとイイことゆってる。http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130121/242513/?P=1ってか、世界の常識なんだよなっ。



 小田嶋tak(o)ashi氏が日経ビジネス・オンラインでイイことゆってた。「体罰は良いか悪いかの2者択一の問題設定がそもそも大間違い。100人いれば100のケースがあり、対策もそれぞれある。あってはならないし、なくなりもしないものについてついては白黒の即断は危険である。」という主旨のもの。卑近な例として駐車違反を取り上げている。このグダグダ感がイイな。決めつけれないものごとを無理に決めずに個別に丁寧に考え続けませう!って臨床哲学者@鷲田清一先生のお言葉だったかな?安易に結論に飛びつかず、それをどれ位深く潜って思考し続けれるのかを「知的肺活量」などと名付けておったよ。肺活量を付けるには沈潜黙考の訓練しかないのれすぅ。ふむ、しかし「何事も決められん奴だのう!」なんて誹謗中傷に耐える方が先かもなぁ。タハハハ 本件に関しては、その昔センセから暴言・暴行を受けた者が積極的に発信しているような希ガス。寅午なんだろうなと思いまふ。時空を超えて遍在している事案なんでしょうね。(ちょと嫌味なことを告白すると、わたしは先生から苛められたことがあーりまへん。いやむしろ小学校から大学まで、いや社会に出てからも上長からは可愛がられてたなぁ。どこまでイイコやねん!って過剰順応のトラウマが最後は空しい人生観となって跳ね返らなければイイナ、いやこりゃもうダメだろ。ショボ~ン)